作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto
こんばんわ、イーガルです。
深夜ですね、そうですね。
なんでこんな時間になったのかと言えば、
今日はマカロニと世界の稽古後に、みんなで肉を食べていたからです。
おいしかったです。
ありがとうございました。
そんな稽古の様子はマカロニと世界のTwitterを御覧ください。

んで!
稽古をしたということは!
マカロニと世界が何かやるわけです。
明日18日㈰ 池袋 芸劇前で15:00すぎから17:00まで
マカロニと世界、ヘブン活動いたします。
河童と遊ぶやつです。
いいですね、見たいですね。

告知は色々あるのですが
来週火曜日、水曜日は原宿のラドンナにて「Music Cocktail Culb vol.4」に出演します。
こちら、お陰様で前売り完売しております。

そして、6月30日㈮はあやちイーガル、茶会記でございます。



さて、ですね、前回ブログで洗濯における認識論を鮮やかにあぶり出したわけですが、
別に洗濯が嫌いだから誰かに洗濯して欲しいわけではなくて、
洗濯をする、という行為から認識論の話をしたかっただけでして、事実がどうということではないのです。
人生は洗濯の連続、と樹木希林もCMで言っております。選択、ですけれど。


さて。
今日はですね、名探偵のジレンマについて書こうと思っております。
小説や映画やドラマに名探偵って出てくるじゃないですか。
彼らは天才と呼ばれ、些細な物事から真実を導き出す、という神業を成し遂げるわけです。
だがしかし、困ったことに
名探偵は、事件が起きてからでなければ事件を解決できない、というジレンマがあるわけです。
そりゃあ、フィクションだからそうだよね、と言えばそれまでなのですが、
そんな些細なことから大事件を解決できるのならば、事件を未然に防げるのではないか、という
とても真っ当な批判がつきまとうわけです。
何というか、連続殺人事件何かを捜査していて、あと2人くらい殺される前に止められたんじゃね?
みたいなツッコミはやっぱりあるわけで、
どんどん人が死んでいくのに解決できていないのに果たしてそれは名探偵なのか、というそもそも論もあるわけです。
ミステリである以上、事件が起きていなければいけないわけですが、
色々な作家が色々な手段を使ってその「名探偵」の
メタ的な立ち位置を整えようと試みていますが、
やはり名探偵が登場すると事件が起きるので、
名探偵がいなければ事件が起きなかったのではないか、という元も子もない何かになってしまうことを止められない、
大変根の深いジレンマなわけです。
例えばですよ、殺人事件を未然に防いでいたら、防いだことによって訪れない殺人事件は決して訪れないので、
本当に防いだかどうかは何ともいい難い。ただ、物的に準備をしていることを察して防いだとすれば、
それはきっと防いだのでしょうが、未遂なわけです。そこに小説としての面白さを兼ね備えるというのは、
大変ハードルが高いように思います。
僕が読んでないだけで、そのような小説があるのかもしれませんが、まだ読んだことが無いか、忘れてしまいました。
井上真偽さんが「探偵は早すぎる」という事件を未然に防ぐ小説を最近出版されたので、
読んでみようかと思います。



ええ、本日も前置きが長くなりましたが
名探偵イーガルは昨日ですね、深煎りの珈琲豆を400グラムほど買いまして、密封して頂いたんですね。
それでも溢れるような珈琲のアロマ。さすが深煎りです。
そんな珈琲豆を入れたカバンが、何だか遅延して激混みの電車の中で潰されそうになるという大変な事態に遭遇いたしました。
僕は思ったね。
「やばい。このまま珈琲袋が破裂したら、大きな音と共に珈琲のアロマが電車中に流れだして、
人々が癒やされてしまう!」
と。

そんな惨事は絶対に防がなければならない。
その一心で、カバンと人の間に出来る限りのスペースを作り、
さらにカバンの中の硬いものである程度の幅を確保、その上に張り裂けんばかりに膨らんだ珈琲袋をふたつ載せ、
見事帰宅に成功しました。
名探偵イーガルは未然に事件を防ぎ、そして、週末の殺伐とした車内はアロマで癒されることもなく、
平坦な日常が続いたわけです。

こう書くと、何だ、そんなことか、とお思いのあなた、
想像して御覧なさい。
混み合った、そして大体酒の入った人たちの満員電車の中で大きな破裂音がしたら、
それはもう、大混乱のうちにヤフーニュースですよ。
名探偵イーガルはそんな近未来を予知して、未然に事件を防いだわけです。

そして気づいてしまったんですね。
現実世界でも、未然に事件を防ぐと、何も起こらなかったことと同義になってしまう、ということに。
しかし、何も起こらないように見えるけれど決して同じ出来事の連続ではない日常を描くことは
小説や映画にしかできないことなのだとも思いました。
そこにフィクションの価値があるのだと思いました。
そして、その対極にあるものとしてギミックに溢れたフィクションがあるのだと思いました。
何だか、僕はアロマテロ未遂事件を契機に、そのようなよくわからない合点がいってしまいまして、
探偵のジレンマは、ジレンマのままほおっておこう、それはフィクションが解決すべき問題ではない、
ということに相成りまして候。


今日こそ本当に無駄すぎるブログですね。
何でこんなに無駄にあふれているのでしょうか。


次回は頑張ります。

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# by takekiygalmuto | 2017-06-18 01:37 | 日記

洗濯問題。

こんばんは、イーガルです。
やはりミュシャ展に行く前でブログは止まっておりました。
ミュシャ展どうだったかって? それはもう、大きかったです。
ミュシャの絵に出て来る人のコスプレをしたりして楽しんできました。
これはもはや美術展ではなく体感型アトラクション。

まぁ、結果は
こちら。イーガルのインスタグラムに何個か載ってます。

さて、告知!

今週末はまたしても素敵イベントが!


ってなことで、ヒロくんと僕のユニット、バロン(Le Baron)が定期的にライブをすることになりまして、
最初のゲストは、フードスタイリストのマロンちゃん!
一昨年ごろから仲良くさせて頂いてるんですが、僕らが一緒にライブをするなら誰がいいかなー、というときに
真っ先に浮かんだのがマロンちゃんでした。
料理を作る人に歌ってもらう、って素敵じゃないですか。
そしてね、マロンちゃん、かなり歌が素敵なんですよ。
必見だね、もうこれは必見ですから、お時間有る方は是非いらしてください。



さて、今週の告知は終了いたしました。


最近ですね、思うことがあるんですよ。
洗濯機まわりのことなんですけども、
何だか洗濯機がさ、洗濯物を入れると、洗剤の量を自動的に教えてくれたりするでしょう。
こんくらいだよ? みたいな。
あの量が全然正確にわからなくて、
このくらい、かな…、あ、もちょっと、かな…、ん、多いの、かな…
みたいな、確信の無い状態で恐る恐る入れる洗剤。
そして、洗剤を多く入れすぎると洗浄力は落ちていくという罠との戦い。
少なければ洗浄力が足りず、多ければ洗浄力が落ちる中、
ものすごいあやふやな指示のもと洗剤を入れる人間の気持ちを察してください。
あの状況の元、正解を出せる気がしません。

そして、洗濯と言えば、どうしても無くなる靴下の片方。
これがまた、ある日突然、どこからともなく返ってきたりするわけですよね。
何ていうんだろう、
本当に靴下は揃いで存在したのであろうか。
我々の認識はどれほど確かなものなのであろうか。
洗濯はもはや認識論でしかないのではないだろうか。

ボルヘスの何かの短編に、道で落とした小銭を探しても探しても見つからなくて、
何かの拍子に(次の日だったかなんかそんな)見たら、そこに落とした小銭があった、という
話がありまして、
ボルヘス曰く、そこにずっと在ったわけではなく、一度異次元へすっ飛ばされて、
そこへ帰ってきた、というのが筋が通っているんではないか、というわけです。

ほら、探し物とかもさ、一度探したところ、何度も探したところ、そんなところから
探しているものが見つからなくて、一回諦めて時間をおいてみたら、
やっぱり一度探したところから出てくることとかありますでしょう。

これはどういうことなのだろうか。

一度「無い」と思ってしまった人間にはそれそのものの存在を認識する力が低下してしまうのか、
はたまたボルヘス曰く、異次元へすっ飛ばされて帰ってきているのか…

どっちが正解でも(あるいはどちらが不正解でも)いいのです。
結果として、探し物が見つからない→諦める→再度探す→見つかる
というプロセスは変わらないわけですね。
これをどう認識すればいいのか。それは人それぞれでしょうが、
それにしても見つからない靴下の片方。
あなたはどこへ行ってしまったのでしょう。
もしかして、そもそも

靴下はどこから来たのか 靴下は何物か 靴下は何処へ行くのか

ということなのではないだろうか、と思いをはせております。靴下とは哲学なのではないか、と。
ゴーギャンのあの絵、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか」
は素足です。
靴下がどこかへ行ってしまったのではないでしょうか。

ここでひとつ好例を出そうと思います。(現代思想、カルチャー論の人がよく使うでしょ、好例とか自分で言っちゃってさ)

女子のヘアピン問題。

さあ、女子の皆さん、経験おありでしょうか。
学生時代、あんなにも頭にさしていたヘアピンがいつの間にか消えている。
そしてある日突然どこからともなく出て来る。
さらには、消えたヘアピンが、「あたしあるよー」とか言って、隣の女の子の頭から出てくる。

男子にはさっぱり分からないこの超常現象。
やはりヘアピンも一回異次元にふっ飛ばされて、帰ってきたけどちょっと場所間違えた、てへ。
みたいなことなんじゃないかと思います。

そして、さらにここで、見つかったあとにも問題は残るわけです。

見つかった靴下orヘアピンは、失くなる前のものと同一であるのかどうか、という問題です。
もうこれは、バートランド・ラッセル先生を前にしても大変むつかしい問題だ。

全く話が見えませんね。


つまりですね、洗濯をすると、
洗剤の量の最適値問題と、靴下消失イリュージョン問題の2つが同時に押し寄せてきて、
出来事が認識論の世界に移っていってしまう、ということなのです。
こんな葛藤をもったまま、洗濯をするだなんて大変!
なので、洗濯が好きではありません。
だけど、洗濯機に洋服を入れて何かすると綺麗になって出て来る。
その現象だけを表層としてとらえられればこんな迷いは無いのだろう、と
信じつつ、頑張ります洗濯。なせばなる。

ちなみに僕はほとんど洗濯を自分でしたことがなくて、
これはつまりアメリカに住んでたりなんかするとアパートに洗濯機を置いちゃいけなくて、
コインランドリーに行かなきゃいけなかったりするんです。
騒音問題とか、雇用問題とか関係しているらしいのですが。
でね、コインランドリーに行くとおばちゃんがいて、その人にお金払うと
洗濯機と乾燥機やっておいてくれるんですよ。
自分でやりゃいいんだけど、そんなの面倒くさいからちょっと割高だけど頼んじゃうのね。

そーするとね、ここでも見事に靴下が無くなってたりするわけですよ。
ある日、おばちゃんが履いてる靴下を見て
「あれー、なんか見たことあるぞぉ」
とか思っても、果たしてその気持ちは本当か。
俺の靴下とあの靴下は同一なのか。
いや、そんなことは分からない。
真相は藪の中。


本日は認識論に迫る鋭い切り口のブログでしたね。
ソラマチ大道芸ご来場ありがとうございました。
もう僕の3ボールカスケードでは驚いてもらえないことが今回の収穫です。
もっと頑張ります。

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# by takekiygalmuto | 2017-06-07 19:52
日比谷カタンさんと蜂鳥スグル×イーガルでおおくりした東海ツアー、
何とも楽しかったです。東京でやればいいのに、なんて言われても
あるんですよ、あのツアー独特の一体感と一回きりの開き直り感。
でもね、大丈夫、安心して。
次のライブは東京です。

5月27日土曜日
『飛び道具最前線~梅雨前線を防衛せよ』
東中野ALT_SPEAKER19:00開場 19:30 開演唄:あやちクローデル、蜂鳥スグル
ピアノ:イーガル、大和田千弘3000円+ドリンク代

なんですよ。ほらほら、みんないらしてください。待ってます。
待っても来ないのがゴドー、待てば来るのがお客さま!今思いついた名言です。

さてこの一週間何してたんだろう、と考えると、まずはやはり東海ツアーですよね、そして他にも
リハーサルや何やら、毎日違うスケジュールで動くことが通常、という状態は相変わらず、
そんなこんなで、ミュシャ展に行けないまま、展覧会が終焉に向かいつつあることに一抹の不安を感じております。


拝啓ムハさま

ミュシャ、チェコ語ではムハ。
そんなあなたのことを知ったのはバブルの匂いが残る90年代初頭でしたね。
あの新宿の路上、コンサバ女が手渡してくるチラシと
「ミュシャ売ってまーす、無料ですのでご覧になるだけでも結構でーす」
という心の底からどうでも良いと思っているような声。
ラッセンの絵と同じくらい頻繁に見かけました。
そんな画家なんだ、とまだ10代の僕は決め込んで
あなたのことを頭の片隅にも止めることさえありませんでした。
ねえ、ムハ
いつの間にあんなにでかい絵を描いたの
ねえ、ムハ
810×610って号数、ちょっと大きすぎるんじゃない
ねえ、ムハ
あなたにいつ会えるの
ねえ、ムハ、ムハ、ムハ…

敬具

イーガル



ということで、ミュシャのことなんて全然考えてこなかった人生ですが
今回の展覧会は本当にすごい、と様々なところから情報だけが入ってきます。
情報だけ、かと思いきや、図録まで頂いてしまいました。
でも図録を見ていても全く分からないサイズ感。
どういう状況になるんだろう、と想像しているうちに
どうやら一部屋だけ撮影OKな部屋があることを知りました。
それならば、ミュシャの絵に出て来る人のコスプレをしようと
試行錯誤の毎日です。

c0077204_20373232.jpg

この絵は「イヴァンチツェの兄弟団学校」のごく一部なんですが、
真中から少し左よりの人、この人にならなれるんじゃないか、と。

c0077204_20374086.jpg


現状こんな感じです。
まだまだブラッシュアップが必要ですね。

はやく行きたいです、ミュシャ展。
巨大な絵は、もはや建造物。
構図がどうとか、そういうことではなくて、
体感型アトラクションとして、積極的に乗っかっていこうと思います。
日々精進。いい言葉です。
ザルを持って入場可能かどうか、一抹の不安はあるのですが、
一応準備だけはしていきたいな、と考えております。

みなさん、お気づきでしょうか、僕がブログに写真をアップできるようになったことに。
ここに至るまで約半年、試行錯誤の上、写真までアップできるようになりました。
ありがとうございます。

今日は大変実のあるブログでしたね。
みなさん覚えてください。
美術や音楽などやや難解と思われる芸術に対して
受動的ではいけません、能動的に日常生活に取り入れていきましょう。
結果、どじょうすくいになったとしても…



さあさあ、土曜日のライブお待ちしております。
6月はまた6月でバンバン素敵なものが続くんですが、
それはまたミュシャ展に行ったあとに書きます。





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# by takekiygalmuto | 2017-05-25 21:00 | 日記

われに5月を

こんにちは、僕です。
もう五月も半ばになりましたが、僕には存在しなかったGWという何だか盛大な休みが世間にはあったようだ、と
薄々は気づいております。
前にも書いたとおり、結構山にいました。サーカスやってましたので山にいました。
「森のサーカス」無事に終了いたしました。ご来場ありがとうございました。
何だか、神奈川新聞に載っていた森のサーカスの告知記事の写真の愛実ちゃんが
赤いティシュー(布)でエアリアルをしている写真なのですが、エアリアルを見たことがない人には、
これはもう金田一シリーズの「悪魔の手毬唄」の殺害現場のような不条理な死体に見えたのではないかと思いますが、
とても美しい作品が出来たと思います。
何だか、最近、よい作品に関わる機会が多いように思えて、嬉しい限りです。

さて告知告知!

明日とあさっては、名古屋と浜松にいます。

「ルーさん、タンさん、ガルさんの煮るバナナ・カート・コバーンワ」
2017年5月19日(金)
19:00開場 20:00開演
出演:蜂鳥スグル、日比谷カタン、イーガル
名古屋 今池 つるのり(今池駅下車すぐ)
2500円+ご飲食代

2017年5月20日(土)
18:00開場 19:00開演
出演:蜂鳥スグル、日比谷カタン、イーガル
2500円+ご飲食代
浜松 エスケリータ68

といった具合で、蜂鳥スグルと日比谷カタンさんとツアーです。
なにこれ、絶対面白いし。
東京からでも見に行って損はないと思いますはい。


ってなことで、告知は終わりました。
どうでしょう、5月は。
一体5月とは何なのでしょう。

僕らにとっては、というか人前に立つ仕事というものは、
一般的な休日が稼働日になることが多いわけです。
例えば土日。例えば夏休みに年末年始。
そしてGWですよ。
ってなわけで、はぁぁ、と一息つけるのはGW後。が、しかし今年はその次の週にサーカスに出ていたのでおやすみもなく、
今週末は名古屋圏にいたりするわけです。

子供の頃に憧れた瑞々しい5月はどこに行ったのでしょう。

5月といえば、皆さんやっぱり寺山修司の「われに五月を」を思い出すよね。(嘘つけ

冒頭はこんな風に始まります


きらめく季節に
だれがあの帆を歌ったのか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 
重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち


-寺山修司「われに五月を」序詞より冒頭


ってなわけで、5月は、木々も青々と、気温も生ぬるく、段々と夏という開放的な季節へ向かう不確かな希望に満ちあふれていて、
これはもうきらめく季節なわけですよ。
若い頃はずっと5月に佇んでいればいいわけで、つまりそれは何か足場の不確かな、根拠のない明るい未来を夢見ながら生きていられるわけですから、例えそれが絶望的な未来像であろうともその人にとって未来が描けるうちは5月に佇めるのではないかと思います。

それがどーよ、年月を重ねていくと、いつの間にか5月は終わっていて、一体今僕はどの季節に佇んでいるのだろう、と
さっぱり分からなくなるのですが、
ジメジメした梅雨はとっくに過ぎ去っているような気持ちもするのですが、明るい日差しに彩られた8月にはまだ到達していないような、きっと僕は今7月あたりに佇んでいるのではないか、と感じているわけです。

だがしかししかししかし、
本当はずっと5月に佇んでいたいのです。
何かぼんやりとした夢のある未来に向かって、何の根拠も無い自信だけを連れて5月を歩きたいわけです。
あらやだ、ピーターパンシンドローム。
何だかちょっと違うような気がするけど、まぁいいや。大人になりたくないわけじゃないんだけど、
少年時代に感じた絶望と希望が等価だったあの気持ち、あれはどこに行ってしまったのだろうと時々思ったりするわけです。

何だこのセンチメンタル全開な展開は。
キモい、俺。


あのね、今現在、僕は、僕的第三次魔法少女まどか☆マギカブームで、しょっちゅう観てるんですけど、
やっぱりすごいよね、あのポップな戦闘シーン。
これはなんだろう、セカイ系と呼ばれるアレなのでしょうか。

知ってますか、セカイ系。
何だか主人公と主人公と恋愛(的な)関係になる二人の危機が中間に社会を仲介させずに世界の危機に直結する、
そんなよーな物語の蔑称として生まれた言葉です。大体、ヒロインの女の子が世界やら宇宙やらを救うために
遮二無二戦って、主役の男の子は結構ワタワタしてるけどあんまり世界を救ってません。
だけど、蔑称はいつしかそういった物語の総称として使われるようになって云々。
代表的な作品は、秋山瑞人の「イリヤの空、UFOの夏」でしょうか。
とても大好きな小説です。
あれじゃない、「最終兵器彼女」とかもそうなんじゃないかな。
西尾維新の「戯言シリーズ」とかもセカイ系なんでしょうか。何か違うような気がする。
よくわからないよ、セカイ系。
でもまぁ、まどマギはそんなこんなで発展系セカイ系アニメなんじゃないかとはうっすら思っているわけです。
僕は好きなんですね、このセカイ系っていうものが。
主人公がアワアワしてて、周りが必死に戦っていて、戦わないと世界が滅ぶだなんて、どんな状況だよ、おい。
素敵です。
超個人的な危機=世界の危機、だなんて、物語としてしか成立しないじゃないですか。
政治とか社会の介入無くして、パーソナルな自分という存在が世界の存在に直結しているだなんて、
実世界ではなかなかありえないことだから、物語というものが100%物語として現実にコミットしない完全な閉じられた物語として存在しているように思えて、それがとても心地いいのです。

さて、今回も何も実になることのないブログですね。
現在僕は90年代後半から2010年頃までの文化批評を読んだりしてます。
東浩紀さんとか。
思うんですよ、そろそろね、2017年でしょ、2010年代とは何かという方向性を示す提案を誰かしたらいいと思うんです。
僕は全然そういうの出来ないから、誰か。
シン・ゴジラとか君の名は。とか社会現象レベルで何かが動いた去年は未来の僕らにとっては何か転換期だったのではないか、と思うんです。
何がどう転換期だったのかさっぱり僕には分からないし実感もないけれど、
誰か何かちゃんとry


もうほんと、もう少し役に立つことを書きたいです。
余りがちな、お土産でもらったまま永遠に使いどころの見当たらないトリュフ塩の使いみちとか。

では、ちょっと名古屋行ってくる。


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# by takekiygalmuto | 2017-05-18 21:19 | 日記

森にいます。

こんばんわ、イーガルです。
なんということでしょう、怒涛の忙しさにかまけていたら、
何とブログが1ヶ月近く更新されてないではありませんか。

これはもう僕が怠けたというよりも、世界の進む速度が速すぎたんではないかと少々時間という概念に危惧を覚える次第で御座います。

さて、恒例の告知ですね。
きっと来週はブログを書く暇の無い忙しさな気がするので先に来週のことまで書いておきます。


まずは、明後日、日曜日!恒例のあやちイーガル定期ワンマンです。

2017年5月7日日曜日
May.7,2017
四谷三丁目 綜合藝術茶房喫茶茶会記
『闇夜の音楽綺譚』

19:30開場/20:00開演

※今回のみスタート時間が30分遅くなります


3,000円(ドリンク代込み)
※入れ替えなし休憩ありの2ステージ構成です

あやちクローデル / うた
イーガル / ピアノ


ほうほう、でかいな。
今回はまた新曲がたくさん増えております。もう何ていうか、分け入っても分け入っても青い山。進む以外に何も出来ない我らです。頑張りますので来てください。

そして来週末は

第33回全国都市緑化よこはまフェア18区連携イベント「森のサーカス」

サーカス公演 
  草木に囲まれた森のなかで、エアリアルやパントマイムが繰り広げられます。
    開催日時:5月13日(土) 13:00~、15:30~ (2回公演、各回30分程度)
  会 場:鴨居原市民の森 北地区 
           ※雨天の場合は5月14日に順延します。
            5月14日も雨天の場合は鴨居小学校体育館で行います。
料 金:無料
    申 込:事前申込不要。当日会場にお越しください。
    

      竹の楽器作りワークショップ (鴨居原市民の森愛護会主催)
      鴨居原市民の森の竹を使ってカスタネットなどの楽器を作ります。
      作った楽器で、サーカスの音楽演奏に参加しよう!

         開催日時:5月13日(土) 11:00~12:00、14:00~15:00
(随時参加可能)

       会   場:鴨居原市民の森 北地区
         料   金:無料       
        ※森の中で飲食することは可能ですので、11:00~のワークショップに
        参加した後にサーカス公演を観覧される方は、昼食をお持ちください。
 


サーカスワークショップ

  サーカス出演者と、エアリアルやパントマイムを体験しよう! 
    
    開催日時:5月14日(日) 13:00~14:30、15:00~16:30
  会   場:横浜市立鴨居小学校体育館 
    対 象:5歳以上(小学3年生以下は保護者同伴)
    定   員:各回15名
    持 ち 物:飲み物、室内用シューズ、運動できる服装
    料   金:無料
    受付方法:当日先着順にて受付、開場とともに受付開始
 ※サーカス公演が5月14日に順延になった場合、サーカスワークショップは
中止します。


~ご注意~
  ・鴨居原市民の森は足元が悪い場所ですので、動きやすい靴でお越しください。
   車いす使用者及び歩行が困難な方のご来場は当会場の構造上、
   非常に困難です。
   また、ベビーカー等での乗入れはご遠慮いただきますよう、お願いします。
  ・鴨居原市民の森、鴨居小学校ともに駐車場はありませんので、公共交通機関を
   ご利用ください。
【鴨居原市民の森 北地区】
    JR横浜線鴨居駅から市営・神奈中バス56系統・119系統、
   中山駅から神奈中バス1系統 「竹山団地入口」下車5分
  【横浜市立鴨居小学校】
   JR横浜線鴨居駅南口から徒歩約5分

ということで、告知頑張りました。文字がすでにたくさんありますね。
でもまぁ、7日にあやちイーガル、5月13日に森のサーカスとおぼえてくだされば良いです。うん。



先月ブログを更新してから何をしていたんだろう、と考えると、あぁ、もうそんなに時間が経ったのか、と感慨深いわけですが、ライブをしたり「ジャグリングの現在」というイベントでMCをしたり、長野で舞台公演をしたり、㈱ハーモニーさんの創立30周年ガラ・コンサートに出演させて頂いたり、あとは大体最近は森にいます。

森。
サーカス演目を作っているわけですね。
森。

本当に森。今は何だか森以外のことを考える余裕がないのですが、とりあえず森。
とてもいい演目ができそうです。期待してください。


さてねぇ、先月のブログで小説を読んでいる、というようなことを書きましたが、というか、いつでも本は読んでいるんですが、何だか大河ロマンというのでしょうか、そういうものを読んでみたくなって、未読だったとある架空の大河ロマンを読んでみたんです。これがまた何だかどうして、全然面白くなくてつらい時間を過ごしました。
架空であれ実際の歴史であれ、大河ロマンといえば重要なことは二点あるでしょう。
ひとつは、登場人物の魅力。もうひとつは政治的駆け引きの妙。
この2つが全体を支える、というかこれ以外のことはさして重要ではないと僕は考えているわけです。
そんなこんなで、ちゃんとしたの読まなきゃ気がすまなくなってきて、色々考えた結果、
アレクサンドル・デュマの「三銃士」を読み返すことに致しました。
「椿姫」を書いたデュマ・フィスのお父さんですね。
ダルタニャンと三銃士が、えいや!てやー!と戦うお話なんですが、
これがまた時代背景を分かってないと、彼らの行動倫理の根幹がどこにあるのかさっぱり分からないのです。
とりあえず、ルイ13世時代のフランスだということはご理解頂きたい。
このルイ13世が枢機卿のリシュリューと権力闘争をしておりまして、
兵士たちはどちら側につくのかでだいぶ情勢が違うわけです。
んなこんなで国内の権力闘争もありつつ、さらに外国とも緊張状態にある、という中、まだ騎士というものが威厳を持ち、
それなりの威力のある立場だということを知って頂きたい。(何様
んでもって、主人公のダルタニャンは一番マトモなんですが、三銃士が本当にすぐ決闘しちゃうわ、無銭飲食しちゃうわ、あーだこーだワインばかり飲んでおります。
クソ野郎どもだなー、と思ったりもしてしまうわけですが、ここで登場するのが騎士であるという威厳。
彼らは騎士のルールに則って生きているので、常人がやれば怒られるようなことも彼らは許される立場にいるわけです。

時代時代、そして立場によって、人の行動倫理というものは変化いたします。
現在の日本の倫理観からすれば、異質に見える彼らの行動もその当時の彼らの立場であれば理に適っている。
そのようなことになっておりますので、「三銃士」から得るものは何もございません。
彼らの生き方は何の参考にもなりません。それがとても素晴らしい。
こんな生き生きした人たちがもしかしたら本当にいたのかもしれない、と思わせてくれる物語、これぞ大河ロマン。

そして、彼らを中心とした回りくどすぎる政治的駆け引き。
ルール上どうしても回避しなければいけない部分を回り道しながら、持っていきたい結論への近道を模索する。
何だよこれ、どーしてそっち通さなきゃいけないの、とか思ったりしながら進んでいくと、なるほど!と相成りまして、
この小説は政治的な駆け引きの部分だけを読めば、かなり難易度の高い駆け引きをしているんではないかと思います。
いやぁ、楽しすぎて鼻血が出そう。

それでは明日も森。
大体、森なんで。

おやすみなさい。


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# by takekiygalmuto | 2017-05-05 21:01 | 日記

背負っているもの

こんにちは、イーガルです。
そうですか、そんなに前のブログから時間があいてしまいましたか。
何をしていたかと言えば、それはもうレコーディングやら稽古やらたくさんしていたんですけれども
先週末のヨコハマ大道芸、ながめくらしつをご覧いただきましてありがとうございました。

さて、告知です。

4月20日(木)セクシー大サーカス
場所:渋谷 サラヴァ東京
18:45開場 19:30開演
出演:サンキュー手塚、武伴平、セクシーDAVINCI、イーガル
前売り2600円 当日3100円(1D付)


4/21(金)「ジャグリングの現在」
19:30@のげシャーレ 
¥2000
【出演】目黒陽介&長谷川愛実 with イーガル 宮野玲&松村高朗 ハチロウ 高橋優弘 セクシーDAVINCI 
MC︰イーガル
予約は野毛大道芸か出演者のHP等からお願い致します。

このイベントでは僕はMCというか、MCもするんですが出演者を紹介する歌を歌ったりします。

さて、そんなこんなで告知も終わりました。

前回のブログで間違いがございました。
1992年当時に公開された「クーリンチェ少年殺人事件」はどうやら4時間ではなく3時間のものだったようで、今回公開されているものが4時間。何だ、長くなっている。それじゃあ腰の痛さも1時間分増えていたって仕方ない。年のせいではなかったんだね、よかった。


最近思うんです。人はそれぞれ背負っているものがあるでしょう。
人生だとか、運命だとか、責任だとか、リュックサックだとか。
問題なのはリュックサックですよ。
他のモノは背負っていても目に見えないものなので分かりやすい。本人が背負っている自覚がなければ背負っていないので、背負っていると思っているということは背負っているということです。
だがしかし、リュックサックは物理的なものでこれはもう背負っていることを本人が忘れちゃったって背負っているじゃないですか。背負っている重さが違う。
目に見えないものを色々考えるよりも目に見えるものをちゃんと考えないといけないなぁ、と思っているわけです。
何で思ったかと言うとですね、電車でリュックサック背負ったままだと人に当たって迷惑だから背中からおろして置いていたら、間違って電車に置いたまま降りそうになったからですね。
背負っていることを当然とした結果、おろしたにも関わらず、無自覚に背負っていると思ってしまっていた結果のリュックサック置き去り未遂事件。
人生とかは背負っていても置き去りにはならないので安心ですね。
みんなでこぞって背負いましょう、自分自身を。

さてさて、最近はちょっと理論の本を立て続けに読んでいたりするんですが
イプシロン-デルタのこととか、三次関数のこととか、虚数とか、無限とか、量子論とか、原子とか電子とか量子場とか、
改めて読んでみると面白すぎてワクワクが止まりません。
何でしょう、数学とかの場合、公式を覚えるとかそういうことを僕は別にしているわけじゃなくて、
数学的な思考回路というものを再確認すると、何だかとっても色んなことが楽に考えられるのです。
場合場合によって異なる出来事に対しても同じ公式が当てはめられるというか何というかそういうようなことで
モヤモヤしていた考えがまとまったりします。
イプシロン-デルタ方式最高。式の有用性ということよりも、何というかそこへ行き着く思考の道筋が、人生を背負う上で大変参考になります。しかもこれはびっくり、背負っているリュックサックのことだってイプシロン-デルタ方式で回答がデてしまうんですね。有限ですもの。でも本当はもっと簡単に回答出せる方法使うけど。

今日もまたどうでもいいことを書いてしまいました。
そんでもって、理論書を読みすぎてちょっと疲れたのでエッセイを読みました。朝永振一郎の「量子力学と私」。
結局量子論じゃないかーい!と思ったアナタ、正解です。
でもほらあれですよ、スポーツだって狙ってる技の前にジャブがあるじゃないですか。
ちょっと違うものをかませておいてからの本命へレッツゴー。
そんなことで数学理論で頭がいっぱいの僕はすぐには小説に進めない。ということで、エッセイを読んで、からの小説。
絶対正しくないと思うけど、とりあえず小説にたどり着けました。

何となく物語っぽい物語が読みたいな、と思って
いしいしんじ「ぶらんこ乗り」
桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」

どちらも再読ですが、「ぶらんこ乗り」はいちいち、小説の中で登場人物によって書かれている小説が素敵で、
あぁ、物語だなぁ、と思うわけです。普通に読めてしまうけれど、登場人物の誰もが大変悲惨な人たちだな、と後から怖くなる素敵な小説です。

「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は発刊当初に読んで、なんじゃこりゃ、と度肝を抜かれた小説で、
もう、なんじゃこりゃ!と今回も思いました。
本当によく出来ている。気持ち悪いくらいにおかしな観念が渦巻く世界に自分をすり合わせようともがく少女たちの物語です。本当の正しさなんていう正解が人生にあるだなんてそんなこと誰が確信を持てるんだ、と声高に叫ぶような小説です。
愛おしい。


ってなことで、今週はライブは2つ。それから火曜日もちょっと友達のイベントで演奏する予定でいたりします。
あー、今週で「クーリンチェ少年殺人事件」上映終わってしまう予感。
行けるかな、もう時間が無いか…。

本当に今回もどうでもいいことしか書けませんでした。
人の役に立つブログ、目指しています。背負ってけ、人生。

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# by takekiygalmuto | 2017-04-17 17:21 | 日記
4月になってますね、こんにちは。
エイプリルフールに壮大な嘘をつき忘れました。
くそー。


4月~5月中旬までの告知オッケーなものはスケジュール更新しました。

うわ、なんだこれ。でかい。

最近ね、思うんですよ、エキサイトブログ使いづらいんじゃないかって。
でも面倒くさいから変えたりしないので、何かもう少し使いやすくしちゃーくれませんかね。



そうだ、気づいてしまわれた方もいるかもしれないと恐れおののきながら恐る恐る言うわけですが今月の上旬は全然コンサートやライブがありませんけれどそれはつまり暇なんじゃないかと思われてしまうような気がするけれど、全然そんなわけじゃないことだけは言っておきたい、ということだけは知って欲しい。
昨日まではレコーディングしておりました。
4月下旬にシングル出すんだ。
まだ告知内容等未知数なところがあるので何とも言えない感じですが、なかなかいい出来です。
ほら、忙しいでしょ。
レコーディングってね、時間かかるんだよ、そりゃあもう1曲撮るのに何時間もヒイヒイ言いながら頑張るわけです。

さてさて、そしてですね、
5月に森のサーカスという、文字通り森の中でサーカスをするんですけど、
僕が楽団を作っちゃったりいたします。
横浜市緑区在住の方で興味有る方がいたら、緑区のHPなど見てみてください。
何かオーディション的なことが書いてあると思います。




よっしゃあ、告知終わった。

さてねぇ、前のブログで今度は好きな日本映画のことを書こうだなんて言ったけれど、
色々思い出してみても好きな日本映画が10本も思いつかなかったんですね、これはどうしたことか。
かなり観てると思ったのに、あまり「これだ!」というような映画がなかったのでしょか。
とりあえず浮かんだものを書いてみます。

「恋人たちは濡れた」神代辰巳
「流れる」成瀬巳喜男
「洲崎パラダイス赤信号」川島雄三
「赤目四十八瀧心中未遂」荒戸源次郎
「桐島、部活やめるってよ」吉田大八
「博奕打ち 総長賭博」山下耕作
「沓掛時次郎 遊侠一匹」加藤泰
加藤泰監督の「緋牡丹博徒」シリーズ


みたいな感じでした。1本はロマンポルノだし、大体任侠映画ばっかりですね、桐島、部活やめるってよとか任侠映画にカテゴライズするね嘘だけど。ていうか、もう本当に何も思いつかなくて、なんでしょう、これ。
黒澤明とか小津安二郎とか溝口健二とか観てるんですよ、観てるんですけど、何だかそんなにそんなでもないというか、
「東京物語」とかやっぱりいいんですけどね。うん。


てなことで、非常に忙しいわけですから、長い映画を見る時間なんて無いよね。
と思わせておいて、先週は二回ほど、長い映画を見に、映画館に行きました。
なんだ、やっぱり暇なんじゃねーか、と思ったそこのあなた、
残念だな、暇じゃないんだな、

時間は出来るものではなくて、作るものです(名言風)

1本は1992年6月に日本公開された台湾映画「クーリンチェ少年殺人事件」です。
これさ、前のブログに好きな映画って書いたんだけど、
まさか今公開されているとは思いもしなかった!こりゃもう無駄に運命感じて見に行ったって仕方ない!
1992年の日本公開当時、僕は中学生だったんですけど
このクソ長い映画を見に行ったんです。理由とか何だか忘れちゃったけど、とにかく見に行って、
最初から最後まで1960年当時の台湾に住む少年少女の鬱屈とした青春が描かれていて何だか涙が出そうになったのを思えてます。
それからまた次の週にも見に行ったんですね、この4時間のクソ長い映画を。
やっぱり素敵で、淡い光に揺れる青春の美しさを感じたわけです。

でもね、これはまだ僕がその登場人物たちよりも年齢が若くて、青春というものに憧れや幻想を持ちながら見たんだと思います。
そんなこんなで現在、何故か25年ぶりに劇場で公開されている「クーリンチェ少年殺人事件」。
4時間見てまいりました。やっぱり凄まじく美しくて、思っていたよりも色が明るくて、
そして思っていたよりも台詞が多くて、思っていたよりも腰が痛くなりました。
年は取りたくないものですね。
サスペンスではないので、別段何が起きるというわけではないんですが、青春とか家族とか初恋とか
甘酸っぱい何かが希望と絶望に挟まれながら、破裂するような映画です。
あー、もうどうしよう、もう一度くらい見に行ってしまいそうで仕方がない。


もう一本は3時間の大作韓国映画「お嬢さん」。
これはね、もうね、ほんっとにバカ映画でした。
壮大で豪華で映像がすごくてやたら金かけてるツッコミどころ満載のVシネを韓国で作ってみました。的な。
笑いどころ満載の、どこもかしこも暑苦しいまでのてんこ盛り演出。
いやー、こんなに振り切れてると爽快です。めちゃくちゃ楽しかった。

ってなことで、クーリンチェ、もっかい行こうかな。





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# by takekiygalmuto | 2017-04-04 21:53 | 日記

家族の肖像

何だかブログ更新してないなぁ、とは思っていたんですが、
きっと忙しいから自分が思っているよりも最後のブログから日にちが経ってないと過信しておりましたすみません。
10日以上経ってましたね。


ということで、恒例の告知です。

2017年3月25日土曜日

Mar.25,2017

四谷三丁目 綜合藝術茶房喫茶茶会記

『闇夜の音楽綺譚』

19:00開場/19:30開演

3,000円(ドリンク代込み)

※入れ替えなし休憩ありの2ステージ構成です

あやちクローデル / うた

イーガル / ピアノ


何だかでかいですね、あやちのHPからコピペしたらでかくなりました。

ということで、今夜ですよ、真面目なあやちイーガルがお向かえいたしますので

気が向いたらきてください。気が向かなくても来てください。



さらに!


野佐怜奈がブルーヴァレンタインズ
「バイバイベイビーサヨナラ/お稽古暮らし」

release!! 2017年422日(土)


野佐怜奈がブルーヴァレンタインズ、ニューシングルがアナログレコード版でリリースされます。
僕はA面シングルの作詞作曲と演奏ちょろっとしてます。ワクワクだね。
ノリノリだけど切ないアッパー恋愛ソングになっております。



先週は、幹丸これりさん、若林圭子さん、そしてあやちイーガルの3マン、うつしおみwithイーガルで新体操の人たちの前でパフォーマンス、ケンケンさんの伴奏でソウルキッチン出演などなどなどなど、非常に忙しい週末を過ごしておりました。


そして何だか結構な頻度で最近映画館に行っているんですが、

新しいものでは、「ソードアートオンライン」劇場版、「ラ・ラ・ランド」「モアナと伝説の海」

デジタルリマスター版でヴィスコンティの「家族の肖像」を見ました。

この1ヶ月ちょっとで4本も映画館に行っているだなんてすごいね。


「ソードアートオンライン」通称SAO、だから竿、は、僕の大好きな仮想現実と現実世界のミクスチャーなSF的要素の強いアニメなのですが、テレビ版が大好きで映画もとても楽しかったです。

「ラ・ラ・ランド」は僕的にはちょっと期待はずれな雰囲気でした。冒頭の渋滞してる車の列でのミュージカル感大好きなんですが、それ以降はふむふむ、という雰囲気でした。

大体、ガチのドジャズフリークでピアニストの設定の主人公の男が弾くオリジナル曲がジャズではなくて40年代ミュージカル風の曲だったり、部屋のポスターがドジャズ好きではないような、そんな感じとか違和感が。

ちなみにドジャズとは、フュージョンとかではなくスタンダードジャズのいかにも古いジャズみたいなのを古いジャズみたいに演奏することを言います。はい。

そしてなんてったって「モアナと伝説の海」ですよ。

毎年ね、ディズニーのアニメは社会との接点として観てるわけですが、モアナやべぇぇぇ。

監督自ら公言しているように、「マッドマックス怒りのデスロード」へのオマージュが散りばめられております。

そうですよ、あのマッドマックスですよ。砂漠地帯で血みどろの鬼のような戦いが繰り広げられるあの名作。そのオマージュってどゆことよ。ディズニーがマッドマックス。

狂おしい。

全体的には平和ではあるんですが、ところどころかなりのバトルが繰り広げられます。

そしてめっちゃ怖い見た目の敵と戦ったりします。

久々にいいディズニーアニメ観ました。

狂おしい。

モアナ最強。


そして、ヴィスコンティの「家族の肖像」ですが、

これはイーガルが選ぶ名作洋画ベスト10、不動の1位を守り続ける大好きな映画なんです。

ちなみにですが他の9本は何かというと、ちょっと全然思い出せないんですけど、


1位 家族の肖像 ルキノ・ヴィスコンティ

2位 山猫 ルキノ・ヴィスコンティ

3位 インランド・エンパイア デヴィッド・リンチ

4位 家路 マノエル・ド・オリヴェイラ

5位 ゴスフォード・パーク ロバート・アルトマン

6位 ラテンアメリカ 光と影の詩 フェルナンド・E・ソラナス

7位 フィッツカラルド ヴェルナー・ヘルツォーク

8位 ピアノ・レッスン ジェーン・カンピオン

9位 ブロードウェイと銃弾 ウッディ・アレン

10位 シティ・オブ・ゴッド フェルナンド・メイレレス

11位 クーリンチェ少年殺人事件 エドワード・ヤン


みたいな雰囲気で以前どこかに書かせていただいたような気がしますが、何だか古い映画が入ってないし、11本あるし、多分間違ってますね。多分、7位くらいまでは合ってます。好きな映画って思い出そうとするとなかなか思い出せないのね、何で。

まぁいいや、ということでデジタルリマスターされた「家族の肖像」を岩波ホールで観て参りました。

相変わらずの日本語字幕の誤訳の多さに少し残念な気持ちにはなるんですが、圧倒的に素敵でした。

舞台はイタリアですね。

お金持ちの教授がアパートメントに住んでいて、そこに何だか意味の分からないガサツな新興成金らしき女性が来ます。

そして、自分の子供と子供の取り巻き、さらには自分の愛人の若い男を連れてきて、教授の持っている上の部屋を貸してくれ、と言うわけです。

教授はインテリで、そして場を壊す、ということを大変嫌がる人です。やってきた四人組はと言えば、これはもう場を壊すどころの騒ぎではなく、どーしたって迷惑な人たちなんですが、なんやかんやで上に住むことになるんですね。

この下品な女性をシルビーナ・マンガーノが演じ、彼女の愛人役をヘルムート・バーガーが演じております。

ふたりとも下品な役をしているのにそこにある気品と人を惹きつける魅力、何故か嫌な人たちなのに愛情を持った目で観られてしまうのです。


この映画で描かれるもの、それは、

教養の差、文化度の差、知識の差、階級の差、

それらを差別的な目ではなく、明らかな人間の差として真正面に捉えた上で、それでも人は人を愛せるのか、そして家族として迎え入れることができるのか、というようなことだと僕は思っています。

人はそれぞれ違う、優劣があって当然だと思います。

人は平等だと子供に教えることは何か真実から目をそむけていることのように思えてなりません。

別に金子みすゞが好きではないんですが

「みんなちがって、みんないい」

的な。


いや、違うな。半分は同意します。

みんなちがって、は同意しますが、みんないい、は、他にも言い換えられるように思います。


みんなちがって、みんなだめ。

みんなちがって、ひとりいい。

みんなちがって、俺以外いい。


とか何だとか、色々あるとは思うんですが、

とにかく、生まれた環境が違えば、育った環境が違えば、自ずと違う個性の人間が育つわけですね。

そのバックグラウンドを考慮せずに、みな平等、というのはなかなか難しいと思います。

もちろん、法的な平等性の話をしているわけではなくて、人間としての平等性のことです。ルソーの人間不平等起源論の話じゃありません。

「家族の肖像」は、そういう明らかな差異のある環境で育った異分子同士が、異分子のまま、

お互いを尊重しようと足掻く映画です。

成功しているのかしていないのか、分からないけれど、彼らは自分たちの差を認識しつつ愛そうとします。そして、人間の持って生まれた差異というものを

真っ向から捉えています。

そういう視線、本当に美しいと思います。

ということで僕はこの映画が大好きなわけです。



さてさて、次のブログは好きな日本映画のことを書こうかなとか何とか思っていて、きっと何も思い出せないから、

これから思い出す作業に入ります。瞑想。





あ。

ちなみに、最近、人狼ゲームというものを覚えました。こないだ朝までやってしまいました。

人数が何人もいないと出来ないんですが、めちゃくちゃ楽しい。

うん、またやりたいな。

お前、人狼だろ!  って言いたい!







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# by takekiygalmuto | 2017-03-25 15:24 | 日記

逆わらしべイーガル

おはようございます。ええ、業界風の挨拶ですね、知ってます、今はもう夜。
先週は2回ブログを更新すると思ってもない意気込みを発揮しましたが、もちろん更新は1回だけでしたね。
そんなことは想定内ですね、もう皆さん分かってきたと思います、良かった。

さて、告知です。
今週は土曜日に素晴らしいライブをするのです。先に言っておきます、素晴らしいです。

2017年3月18日土曜日
『シャンソン、タンゴ、飛び道具』
東中野 ALT speaker
19:00開場/19:30開演
出演: 若林圭子、幹丸これり、あやちクローデル、イーガル
2500円+ドリンク代

※とても美味しいお酒が飲める、
グランドピアノのある素敵なお店です!

20:00スタートと一部告知してしまいましたが、19:30スタートでした。

ということで、シャンソン、タンゴ、何だか分からないジャンルの曲など、僕は弾きまくります。
来てね。


わらしべ長者って昔話がありますよね。
ワラを持っていて交換していくうちにお金持ちになる話。
僕はね、今日は転がるように散財していったんです、逆わらしべイーガルの物語をどうぞ。

ということで、今日ですよ、今日。
9時~17時まで上下水道の工事の為、うちの水が出ないんですって。
全くなんてこったい!
そんなわけで当て所もなく僕は家を出たわけです。
モーニングを食べて、そこでかかっていた内田光子のモーツァルトのピアノソナタが本当に素敵で
うっとりしつつ、こりゃあいかんと朝からリハーサルに行きました。まぁすぐに終わるリハだったので
終わってから今度はどこにでもあるチェーン店で珈琲を飲みながら本を読んでいたわけです。
菅浩江さんの「永遠の森 博物館惑星」。再読です。
地球の衛星軌道上に浮かぶ全地球の芸術や植物を収集保存を目的とした博物館のお話なんですが、
まぁつまりSFです。
これがもう作者の数多の芸術への関心の深さがにじみ出るような素晴らしい短編集で
読むたびに美しさを共有しているわけです。
さて、本日もうっとり日がな一日、本を読んで過ごせるかと思っていたら罠。
206ページ目に罠が!


急に展覧会を見たくなった。やっているものなら何でもいい。すぐに浴びられる美の飛沫が欲しい。美和子のように気楽な立場でそれを享け、単純に喜びたい。いっそのこと今日一日はサボってやろうか…。
菅浩江「抱擁」より


ああ、僕は本を閉じてしまった!
急に展覧会に行きたくなった。何ということでしょう、SFという非現実の局地にあるような小説が
こんなにも大胆にわたくしの私生活にコミットしてくるだなんて。
しばし抗ってみたものの小説の内容も頭に入らず、負けも悟らず、最先端機器スマホなるもので美術館情報をチェキラベイベ。
オーイェア、三菱一号美術館で『オルセーのナビ派展』をやっているではないですかどうですかこれ。

ナビ派は何かというと、セザンヌが切り開いた印象派と、そのあとにズドンとやってくるフォービズムやキュビズム、抽象画への道筋の中に慎ましやかに存在する具象から抽象絵画への橋渡しをしたような、何とも言い難い、チャレンジングな画家たちのことでして、あまり見る機会は無いわけです。
あぁ、ナビ派ね、ふーん。とかも言えないくらいに見る機会もあまりなく、代表的な画家と言ってもボナール、ドニ、ナンソン。僕にとっては、へー、何にも思い浮かばないや、といった具合です。

すぐに浴びられる美の飛沫…。
これはナビ派なんじゃ。ナビ派はなんてったって預言者の意味で、この何にも無関係な本日の出来事を
勝手に運命づけるにはぴったしだな!と意気込んでしまったのです。


到着。
チケット購入。
準備オッケー。
はい、スタート。

僕にとって美術展というのは最初の何点かを見て、そして見方を考えて、もう一度見て、僕の見るスタンスを形づくるところから始まります。
そこで時間を取られるわけですが、そこから先は何に焦点をしぼればいいか、僕自身に迷いが無く見ることができるのでこれはかかせない儀式なわけで、だから今日もそれをして、あー、そんな感じか、平面の構図、んん、簡潔な線、いやいや、色彩…、リズム感、ぇと、何だかな、全然わかんないこれ何。
やべぇ!
さっぱりわかんねぇ!!!

何ていうかすごいごちゃ混ぜ感なんです。
リンゴの静物画からスタートするんですが、確かにセザンヌ的なタッチが見受けられるし、でも待って、こっちの絵は何かもはや抽象画になってんじゃねーかよ、どこだよ川!どこに川があんだよ、これか、この青いやつか。
おいおい、見方が定まらない。

こんな不安な気持ちを抱えながら進んでいく僕。
その中で最初に衝撃を受けたのがモーリス・ドニの「テラスの陽光」。
殆どオレンジ色に塗り込められた小さなキャンバスの中にどうも人らしき形が浮かび上がっている。
なんだろう、これ。具象と抽象の狭間にかろうじて立っているような危うい雰囲気。
何だか目が離せなくなってきた。
ちょっと待てよ、とさっきの川の絵を見に帰る。ポール・セリュジエの「タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川」。
あぁ、極端に色彩だけを抽出した、何というか、対象そのものを見たときに感じた心の風景を、現実の風景に重ね合わせて折り合いをつけたような、そんなやつだナビ派。

気がついたらのめり込んでいました。
もちろん画家によって作風はまちまちで好みは色々あるけれど、基本的には伝統的な絵画の体裁を持ちつつ、そこに何か自分たちの心象風景を重ね合わせているのだ、と僕は感じました。
ルネサンス期の宗教画や日本の浮世絵、セザンヌにゴーギャン、色々な影響の上に模索を続けながら描き続けた彼ら。
息も絶え絶え、休み休み、じっくり見てまいりました。

どこかで見たことのあるような懐かしい暗さのフェリックス・ヴァロットンの「ボール」。
その中に自分が入ってしまったかのような気持ちになるエドゥアール・ヴュイヤールの「公園」シリーズ。
そして最後に待っていたのはモーリス・ドニの「プシュケの物語」という連作。
ルドン的というか、淡い色合いで描かれる神話は美しくいびつで、大変好みでした。

やっと終わった。フルマラソン並の精神疲労。美術館ってほんとに体に悪い。

さて、ちょっと絵葉書でも買って帰るかな。もしかしたら図録も買おうかな。
そんな気持ちでミュージアムショップに寄りますよね、展覧会の帰りって。
思考停止っていうのかな、こういうの。何だか財布の紐が緩むよね。

で、ミュージアムショップがですよ、


ちょっと待て。

絵葉書やばっ!!!!!!


何と絵葉書が絵画と絵画の塗り絵セット!
どゆこと!?
塗り絵ってどゆこと!?
こんなに抽象化された風景画とその塗り絵…。
手に取っちゃうよね、間違いない。

そんな調子だから、図録も買うよね、間違いない。

壁を見たら複製画がかざってあるよね。ああ、これ欲しいな、と思ったけど絵葉書と塗り絵セットになかったやつだよね。
うん、買うよね。



ということで、買ってしまいました、モーリス・ドニ「磔刑像への奉納」の複製画。

画像とか張り方分からないから気になったら調べてね。



閑話休題。

玄関入ったところにかけてみました。客人を迎えるにあたってなんてふさわしくない絵なんでしょう。
ちなみにその前にはそこにはベルナール・ビュッフェの静物画が、さらにその前には中世の人物画がかかっていて、
結局どれもそんなに客人を迎えるような絵じゃなかったので別にいいんですけど。


あーあ、上下水道工事の為に、ちょっとお出かけのつもりが、つもりつもって散財三昧。
お金がない僕です。18日のライブに来てください。キラッ







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# by takekiygalmuto | 2017-03-14 19:38 | 日記

楽しいことばかり。

さて、こないだ書いたブログから2週間経ってしまいましたね、週1回の更新は全然果たせない雰囲気が満ち満ちてまいりました。

今回の告知です。
何と、今週はライブがないだと!?
こんなときもあるものです。
そんなあなたに朗報。真面目すぎるイーガルを見るにはこんなに素晴らしい機会はない、という
ライブをご用意しております。
是非来てね。

2017年3月18日土曜日
『シャンソン、タンゴ、飛び道具』
東中野 ALT speaker
19:00開場/19:30開演
出演: 若林圭子、幹丸これり、あやちクローデル、イーガル
2500円+ドリンク代

伝説のシャンソン歌手に、タンゴの新鋭、
そして大体飛び道具みたいなジャンル不明の3人の歌合戦。
春を呼ぶ儀式のような一夜をご堪能ください。

※とても美味しいお酒が飲める、
グランドピアノのある素敵なお店です!

20:00スタートと一部告知してしまいましたが、19:30スタートでした。




さてさて、先週は金曜日から日曜日まで楽しくて仕方なかったです。
浜離宮ホールでは、松原健之さんのコンサートの前座をさせていただきました.
本当に素敵な歌声と人柄でした。今度、ご飯連れて行ってもらお。


東京ガーデンパレスホテルでの朗読ミュージカルはとても楽しかったし、よい作品に関われたことが嬉しかったです。
今回は終演後、石渡真修君や古谷大和君や他の出演者の人たちともたくさん話す機会があって、
勉強になることもたくさんありました。本当にタイムリーの役者さんたちはいい人ばかりで、仕事をしてても気持ちいいです。

浅草HUBでの音彩は司会をしました。出演者さんたちがみんなめちゃめちゃかっこいい音楽をしていて、音楽は素敵だ、と改めて思いました。


でね。
僕は子供の頃から、それはもう三大◯◯を作っているわけです。

三大ゆたかと言えば
尾崎豊、江夏豊、夏木ゆたかですし
三大吉田と言えば、
吉田松蔭、吉田戦車、吉田沙保里ですし
三大リンゴと言えば、
リンゴ・スター、椎名林檎、ハイヒールリンゴですし
三大アップルと言えば、
apple社、フィオナ・アップル、ハイヒールリンゴですし

これはもう一般論と言っても過言ではないわけですね、はいそうですね。

ところで、前のブログで書きましたが僕が作曲家として聞かれる三大質問があるのです。
今日はまくらが短くて本題に入れました。何て素晴らしいことなんでしょう。
どうせ脱線するのは目に見えておりますが、頑張りましょう。
僕じゃなくて、読む皆さんが頑張りましょう。

でーん。
これです。
「一番好きな曲ってなんですか?」
「作曲ってどっから発想を得ているんですか?」
「作曲するときはピアノを使うんですか?」

大体、何か表現の仕事をしていると好きなものを聞かれることって結構あります。
そんなときには「オフィシャル」な答えを用意していたりします。
何というか、こう答えるべき、と求められているように推測され得る答え、というのでしょうか。
雑誌のインタビューだったりするときに、
好きな本を聞かれて、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」だとか、1920年代から40年代のフランスヌーボーロマン、特にナタリー・サロートですね、とか答えたり、ラブクラフト全集ですね、とか、ブルーノ・シュルツですね、とか、何かそういう誰得?みたいな答えは求められていないわけで、ちょっと譲歩したけどここならいける!みたいな落とし所があるのです。
例えば、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟とか、プルーストとか、漠然と幸田文さんです、とか、聖書です、とか言ったりしてます。
でもブログだからね。好き勝手書きたいと思います。

ってことで、いくぜ。

「一番好きな曲ってなんですか?」
いやー、めちゃくちゃ難しい。このジャンルだったらこれ、みたいなのが少しはあるんですが、
やっぱりどれもこれも好きだから、何だか答えが散漫になってしまいます。
ポップスならば、
殿堂入りのケイト・ブッシュを除いて、
バーシア、ジャネット・ジャクソン、ニナ・シモンが三大歌姫です。
意外と普通。エイミー・ワインハウスも好きです。

クラシックならば、編成によって色々ですが、
ピアノ曲ならば、ブラームスのop.118の6つの小品、ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲と6つのバガテル、ベルクのソナタが好きです。
室内楽ならば、バルトークの弦楽四重奏全曲、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲。
弦楽独奏曲ならば、イザイの無伴奏ヴァイオリンソナタ、コダーイの無伴奏チェロソナタ、ブリテンの無伴奏チェロ組曲。
オーケストラならば、レスピーギのローマ三部作、マーラーの交響曲第9番、ベートーヴェンの交響曲第7番、ブルックナー全曲、ベルクのヴァイオリン協奏曲、シェーンベルクのピアノ協奏曲、エルガーのチェロ協奏曲。
歌曲ならシューベルトの冬の旅、オペラならブリテンの諸作品、R・シュトラウスの「サロメ」「ナクソス島のアリアドネ」、ワーグナーの「パルジファル」、グノー何かも好きです。
やだ、真面目。そして、取り留めもない。
ということで、とにかく、こんな質問には答えは窮する、ということですはい。


「作曲ってどっから発想を得ているんですか?」

得ません!
力技でひねり出します。
ごく稀にふってくる、というか、降りてくるようなこともありますが、
大体頑張ってます。

作曲家のコープランドが書いた「What to listen for in music」という音楽を聴く人の為の本があるのですが、これが残念ながら日本語訳がえらく古いものがあるばかりで新しい日本語訳で本出ないかな、と思っていたり、何なら僕、訳すから誰か出版しやがれ、と思うのですが、
その中で「一般の人たちは作曲家が自分自身の作品のことを理解していると思いがちだが必ずしもそのようなことはない」というようなことを書いています。
本当に、僕たちは全く自分の作品を理解していないのです。
力技でひねり出していようと降ってきたものであろうと、完成した瞬間にプロセスや自分の中の作曲の整合性とか正しさとかは意味を無くして、ただ作品が存在することになります。
終止線を引いたところで作品がこの世の中に存在しはじめて、もう自分のものではなくなるような感じがします。
なので、どういう意図で書かれたのですか、と聞かれても、何となくは答えられるのですが、
音楽は音楽それ自体でしかないので、
例え、僕が、ここは悲しみを、ここは喜びを表現しています、と言っても何も言っていないことと同義です。聴いた人が思ったことがその人にとって(例え錯覚であったとしても)本物であるし、僕が自分の音楽に思うことも同じように本物であると同時に偽物であるのです。シュレディンガー!量子論!
やっぱり、脱線しましたね。


「作曲するときはピアノを使うんですか?」

これまた難しいのですが、場合によります。
基本的に歌曲はピアノを使って書いています。歌いながら書いてます。
ピアノ曲は基本ベースだけピアノでラフスケッチを作って、後は机に向かって譜面を書くだけです。
オーケストラはメモ程度の断片をピアノで作って、後は計算をしたり図を書いたりして、
机に向かって書いております。
だってよー、考えてもみなさいよ、オーケストラなんてたくさん人がいるわけですよ、わたくしの10本の指で弾けるものなら別にピアノ曲で良いじゃないですか。
10本の指では弾けないたくさんの音とたくさんの音色を合わせるオーケストラは、これはもう頭の上に、ぽんっ、とオーケストラのイメージをのっけて、そこから流れてくる音を探す、そんな作業です。



てなことで、今回も真面目ですね、僕は。
さて、今度は何を書こうかな、やっぱり本の話になってしまいそうですが、
今週はもう1回くらいブログ更新できたらと思います。
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# by takekiygalmuto | 2017-03-06 10:54 | 日記