作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

われに5月を

こんにちは、僕です。
もう五月も半ばになりましたが、僕には存在しなかったGWという何だか盛大な休みが世間にはあったようだ、と
薄々は気づいております。
前にも書いたとおり、結構山にいました。サーカスやってましたので山にいました。
「森のサーカス」無事に終了いたしました。ご来場ありがとうございました。
何だか、神奈川新聞に載っていた森のサーカスの告知記事の写真の愛実ちゃんが
赤いティシュー(布)でエアリアルをしている写真なのですが、エアリアルを見たことがない人には、
これはもう金田一シリーズの「悪魔の手毬唄」の殺害現場のような不条理な死体に見えたのではないかと思いますが、
とても美しい作品が出来たと思います。
何だか、最近、よい作品に関わる機会が多いように思えて、嬉しい限りです。

さて告知告知!

明日とあさっては、名古屋と浜松にいます。

「ルーさん、タンさん、ガルさんの煮るバナナ・カート・コバーンワ」
2017年5月19日(金)
19:00開場 20:00開演
出演:蜂鳥スグル、日比谷カタン、イーガル
名古屋 今池 つるのり(今池駅下車すぐ)
2500円+ご飲食代

2017年5月20日(土)
18:00開場 19:00開演
出演:蜂鳥スグル、日比谷カタン、イーガル
2500円+ご飲食代
浜松 エスケリータ68

といった具合で、蜂鳥スグルと日比谷カタンさんとツアーです。
なにこれ、絶対面白いし。
東京からでも見に行って損はないと思いますはい。


ってなことで、告知は終わりました。
どうでしょう、5月は。
一体5月とは何なのでしょう。

僕らにとっては、というか人前に立つ仕事というものは、
一般的な休日が稼働日になることが多いわけです。
例えば土日。例えば夏休みに年末年始。
そしてGWですよ。
ってなわけで、はぁぁ、と一息つけるのはGW後。が、しかし今年はその次の週にサーカスに出ていたのでおやすみもなく、
今週末は名古屋圏にいたりするわけです。

子供の頃に憧れた瑞々しい5月はどこに行ったのでしょう。

5月といえば、皆さんやっぱり寺山修司の「われに五月を」を思い出すよね。(嘘つけ

冒頭はこんな風に始まります


きらめく季節に
だれがあの帆を歌ったのか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 
重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち


-寺山修司「われに五月を」序詞より冒頭


ってなわけで、5月は、木々も青々と、気温も生ぬるく、段々と夏という開放的な季節へ向かう不確かな希望に満ちあふれていて、
これはもうきらめく季節なわけですよ。
若い頃はずっと5月に佇んでいればいいわけで、つまりそれは何か足場の不確かな、根拠のない明るい未来を夢見ながら生きていられるわけですから、例えそれが絶望的な未来像であろうともその人にとって未来が描けるうちは5月に佇めるのではないかと思います。

それがどーよ、年月を重ねていくと、いつの間にか5月は終わっていて、一体今僕はどの季節に佇んでいるのだろう、と
さっぱり分からなくなるのですが、
ジメジメした梅雨はとっくに過ぎ去っているような気持ちもするのですが、明るい日差しに彩られた8月にはまだ到達していないような、きっと僕は今7月あたりに佇んでいるのではないか、と感じているわけです。

だがしかししかししかし、
本当はずっと5月に佇んでいたいのです。
何かぼんやりとした夢のある未来に向かって、何の根拠も無い自信だけを連れて5月を歩きたいわけです。
あらやだ、ピーターパンシンドローム。
何だかちょっと違うような気がするけど、まぁいいや。大人になりたくないわけじゃないんだけど、
少年時代に感じた絶望と希望が等価だったあの気持ち、あれはどこに行ってしまったのだろうと時々思ったりするわけです。

何だこのセンチメンタル全開な展開は。
キモい、俺。


あのね、今現在、僕は、僕的第三次魔法少女まどか☆マギカブームで、しょっちゅう観てるんですけど、
やっぱりすごいよね、あのポップな戦闘シーン。
これはなんだろう、セカイ系と呼ばれるアレなのでしょうか。

知ってますか、セカイ系。
何だか主人公と主人公と恋愛(的な)関係になる二人の危機が中間に社会を仲介させずに世界の危機に直結する、
そんなよーな物語の蔑称として生まれた言葉です。大体、ヒロインの女の子が世界やら宇宙やらを救うために
遮二無二戦って、主役の男の子は結構ワタワタしてるけどあんまり世界を救ってません。
だけど、蔑称はいつしかそういった物語の総称として使われるようになって云々。
代表的な作品は、秋山瑞人の「イリヤの空、UFOの夏」でしょうか。
とても大好きな小説です。
あれじゃない、「最終兵器彼女」とかもそうなんじゃないかな。
西尾維新の「戯言シリーズ」とかもセカイ系なんでしょうか。何か違うような気がする。
よくわからないよ、セカイ系。
でもまぁ、まどマギはそんなこんなで発展系セカイ系アニメなんじゃないかとはうっすら思っているわけです。
僕は好きなんですね、このセカイ系っていうものが。
主人公がアワアワしてて、周りが必死に戦っていて、戦わないと世界が滅ぶだなんて、どんな状況だよ、おい。
素敵です。
超個人的な危機=世界の危機、だなんて、物語としてしか成立しないじゃないですか。
政治とか社会の介入無くして、パーソナルな自分という存在が世界の存在に直結しているだなんて、
実世界ではなかなかありえないことだから、物語というものが100%物語として現実にコミットしない完全な閉じられた物語として存在しているように思えて、それがとても心地いいのです。

さて、今回も何も実になることのないブログですね。
現在僕は90年代後半から2010年頃までの文化批評を読んだりしてます。
東浩紀さんとか。
思うんですよ、そろそろね、2017年でしょ、2010年代とは何かという方向性を示す提案を誰かしたらいいと思うんです。
僕は全然そういうの出来ないから、誰か。
シン・ゴジラとか君の名は。とか社会現象レベルで何かが動いた去年は未来の僕らにとっては何か転換期だったのではないか、と思うんです。
何がどう転換期だったのかさっぱり僕には分からないし実感もないけれど、
誰か何かちゃんとry


もうほんと、もう少し役に立つことを書きたいです。
余りがちな、お土産でもらったまま永遠に使いどころの見当たらないトリュフ塩の使いみちとか。

では、ちょっと名古屋行ってくる。


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by takekiygalmuto | 2017-05-18 21:19 | 日記