作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

洗濯問題。

こんばんは、イーガルです。
やはりミュシャ展に行く前でブログは止まっておりました。
ミュシャ展どうだったかって? それはもう、大きかったです。
ミュシャの絵に出て来る人のコスプレをしたりして楽しんできました。
これはもはや美術展ではなく体感型アトラクション。

まぁ、結果は
こちら。イーガルのインスタグラムに何個か載ってます。

さて、告知!

今週末はまたしても素敵イベントが!


ってなことで、ヒロくんと僕のユニット、バロン(Le Baron)が定期的にライブをすることになりまして、
最初のゲストは、フードスタイリストのマロンちゃん!
一昨年ごろから仲良くさせて頂いてるんですが、僕らが一緒にライブをするなら誰がいいかなー、というときに
真っ先に浮かんだのがマロンちゃんでした。
料理を作る人に歌ってもらう、って素敵じゃないですか。
そしてね、マロンちゃん、かなり歌が素敵なんですよ。
必見だね、もうこれは必見ですから、お時間有る方は是非いらしてください。



さて、今週の告知は終了いたしました。


最近ですね、思うことがあるんですよ。
洗濯機まわりのことなんですけども、
何だか洗濯機がさ、洗濯物を入れると、洗剤の量を自動的に教えてくれたりするでしょう。
こんくらいだよ? みたいな。
あの量が全然正確にわからなくて、
このくらい、かな…、あ、もちょっと、かな…、ん、多いの、かな…
みたいな、確信の無い状態で恐る恐る入れる洗剤。
そして、洗剤を多く入れすぎると洗浄力は落ちていくという罠との戦い。
少なければ洗浄力が足りず、多ければ洗浄力が落ちる中、
ものすごいあやふやな指示のもと洗剤を入れる人間の気持ちを察してください。
あの状況の元、正解を出せる気がしません。

そして、洗濯と言えば、どうしても無くなる靴下の片方。
これがまた、ある日突然、どこからともなく返ってきたりするわけですよね。
何ていうんだろう、
本当に靴下は揃いで存在したのであろうか。
我々の認識はどれほど確かなものなのであろうか。
洗濯はもはや認識論でしかないのではないだろうか。

ボルヘスの何かの短編に、道で落とした小銭を探しても探しても見つからなくて、
何かの拍子に(次の日だったかなんかそんな)見たら、そこに落とした小銭があった、という
話がありまして、
ボルヘス曰く、そこにずっと在ったわけではなく、一度異次元へすっ飛ばされて、
そこへ帰ってきた、というのが筋が通っているんではないか、というわけです。

ほら、探し物とかもさ、一度探したところ、何度も探したところ、そんなところから
探しているものが見つからなくて、一回諦めて時間をおいてみたら、
やっぱり一度探したところから出てくることとかありますでしょう。

これはどういうことなのだろうか。

一度「無い」と思ってしまった人間にはそれそのものの存在を認識する力が低下してしまうのか、
はたまたボルヘス曰く、異次元へすっ飛ばされて帰ってきているのか…

どっちが正解でも(あるいはどちらが不正解でも)いいのです。
結果として、探し物が見つからない→諦める→再度探す→見つかる
というプロセスは変わらないわけですね。
これをどう認識すればいいのか。それは人それぞれでしょうが、
それにしても見つからない靴下の片方。
あなたはどこへ行ってしまったのでしょう。
もしかして、そもそも

靴下はどこから来たのか 靴下は何物か 靴下は何処へ行くのか

ということなのではないだろうか、と思いをはせております。靴下とは哲学なのではないか、と。
ゴーギャンのあの絵、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか」
は素足です。
靴下がどこかへ行ってしまったのではないでしょうか。

ここでひとつ好例を出そうと思います。(現代思想、カルチャー論の人がよく使うでしょ、好例とか自分で言っちゃってさ)

女子のヘアピン問題。

さあ、女子の皆さん、経験おありでしょうか。
学生時代、あんなにも頭にさしていたヘアピンがいつの間にか消えている。
そしてある日突然どこからともなく出て来る。
さらには、消えたヘアピンが、「あたしあるよー」とか言って、隣の女の子の頭から出てくる。

男子にはさっぱり分からないこの超常現象。
やはりヘアピンも一回異次元にふっ飛ばされて、帰ってきたけどちょっと場所間違えた、てへ。
みたいなことなんじゃないかと思います。

そして、さらにここで、見つかったあとにも問題は残るわけです。

見つかった靴下orヘアピンは、失くなる前のものと同一であるのかどうか、という問題です。
もうこれは、バートランド・ラッセル先生を前にしても大変むつかしい問題だ。

全く話が見えませんね。


つまりですね、洗濯をすると、
洗剤の量の最適値問題と、靴下消失イリュージョン問題の2つが同時に押し寄せてきて、
出来事が認識論の世界に移っていってしまう、ということなのです。
こんな葛藤をもったまま、洗濯をするだなんて大変!
なので、洗濯が好きではありません。
だけど、洗濯機に洋服を入れて何かすると綺麗になって出て来る。
その現象だけを表層としてとらえられればこんな迷いは無いのだろう、と
信じつつ、頑張ります洗濯。なせばなる。

ちなみに僕はほとんど洗濯を自分でしたことがなくて、
これはつまりアメリカに住んでたりなんかするとアパートに洗濯機を置いちゃいけなくて、
コインランドリーに行かなきゃいけなかったりするんです。
騒音問題とか、雇用問題とか関係しているらしいのですが。
でね、コインランドリーに行くとおばちゃんがいて、その人にお金払うと
洗濯機と乾燥機やっておいてくれるんですよ。
自分でやりゃいいんだけど、そんなの面倒くさいからちょっと割高だけど頼んじゃうのね。

そーするとね、ここでも見事に靴下が無くなってたりするわけですよ。
ある日、おばちゃんが履いてる靴下を見て
「あれー、なんか見たことあるぞぉ」
とか思っても、果たしてその気持ちは本当か。
俺の靴下とあの靴下は同一なのか。
いや、そんなことは分からない。
真相は藪の中。


本日は認識論に迫る鋭い切り口のブログでしたね。
ソラマチ大道芸ご来場ありがとうございました。
もう僕の3ボールカスケードでは驚いてもらえないことが今回の収穫です。
もっと頑張ります。

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by takekiygalmuto | 2017-06-07 19:52