作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

名探偵イーガル・アロマテロ未遂事件

こんばんわ、イーガルです。
深夜ですね、そうですね。
なんでこんな時間になったのかと言えば、
今日はマカロニと世界の稽古後に、みんなで肉を食べていたからです。
おいしかったです。
ありがとうございました。
そんな稽古の様子はマカロニと世界のTwitterを御覧ください。

んで!
稽古をしたということは!
マカロニと世界が何かやるわけです。
明日18日㈰ 池袋 芸劇前で15:00すぎから17:00まで
マカロニと世界、ヘブン活動いたします。
河童と遊ぶやつです。
いいですね、見たいですね。

告知は色々あるのですが
来週火曜日、水曜日は原宿のラドンナにて「Music Cocktail Culb vol.4」に出演します。
こちら、お陰様で前売り完売しております。

そして、6月30日㈮はあやちイーガル、茶会記でございます。



さて、ですね、前回ブログで洗濯における認識論を鮮やかにあぶり出したわけですが、
別に洗濯が嫌いだから誰かに洗濯して欲しいわけではなくて、
洗濯をする、という行為から認識論の話をしたかっただけでして、事実がどうということではないのです。
人生は洗濯の連続、と樹木希林もCMで言っております。選択、ですけれど。


さて。
今日はですね、名探偵のジレンマについて書こうと思っております。
小説や映画やドラマに名探偵って出てくるじゃないですか。
彼らは天才と呼ばれ、些細な物事から真実を導き出す、という神業を成し遂げるわけです。
だがしかし、困ったことに
名探偵は、事件が起きてからでなければ事件を解決できない、というジレンマがあるわけです。
そりゃあ、フィクションだからそうだよね、と言えばそれまでなのですが、
そんな些細なことから大事件を解決できるのならば、事件を未然に防げるのではないか、という
とても真っ当な批判がつきまとうわけです。
何というか、連続殺人事件何かを捜査していて、あと2人くらい殺される前に止められたんじゃね?
みたいなツッコミはやっぱりあるわけで、
どんどん人が死んでいくのに解決できていないのに果たしてそれは名探偵なのか、というそもそも論もあるわけです。
ミステリである以上、事件が起きていなければいけないわけですが、
色々な作家が色々な手段を使ってその「名探偵」の
メタ的な立ち位置を整えようと試みていますが、
やはり名探偵が登場すると事件が起きるので、
名探偵がいなければ事件が起きなかったのではないか、という元も子もない何かになってしまうことを止められない、
大変根の深いジレンマなわけです。
例えばですよ、殺人事件を未然に防いでいたら、防いだことによって訪れない殺人事件は決して訪れないので、
本当に防いだかどうかは何ともいい難い。ただ、物的に準備をしていることを察して防いだとすれば、
それはきっと防いだのでしょうが、未遂なわけです。そこに小説としての面白さを兼ね備えるというのは、
大変ハードルが高いように思います。
僕が読んでないだけで、そのような小説があるのかもしれませんが、まだ読んだことが無いか、忘れてしまいました。
井上真偽さんが「探偵は早すぎる」という事件を未然に防ぐ小説を最近出版されたので、
読んでみようかと思います。



ええ、本日も前置きが長くなりましたが
名探偵イーガルは昨日ですね、深煎りの珈琲豆を400グラムほど買いまして、密封して頂いたんですね。
それでも溢れるような珈琲のアロマ。さすが深煎りです。
そんな珈琲豆を入れたカバンが、何だか遅延して激混みの電車の中で潰されそうになるという大変な事態に遭遇いたしました。
僕は思ったね。
「やばい。このまま珈琲袋が破裂したら、大きな音と共に珈琲のアロマが電車中に流れだして、
人々が癒やされてしまう!」
と。

そんな惨事は絶対に防がなければならない。
その一心で、カバンと人の間に出来る限りのスペースを作り、
さらにカバンの中の硬いものである程度の幅を確保、その上に張り裂けんばかりに膨らんだ珈琲袋をふたつ載せ、
見事帰宅に成功しました。
名探偵イーガルは未然に事件を防ぎ、そして、週末の殺伐とした車内はアロマで癒されることもなく、
平坦な日常が続いたわけです。

こう書くと、何だ、そんなことか、とお思いのあなた、
想像して御覧なさい。
混み合った、そして大体酒の入った人たちの満員電車の中で大きな破裂音がしたら、
それはもう、大混乱のうちにヤフーニュースですよ。
名探偵イーガルはそんな近未来を予知して、未然に事件を防いだわけです。

そして気づいてしまったんですね。
現実世界でも、未然に事件を防ぐと、何も起こらなかったことと同義になってしまう、ということに。
しかし、何も起こらないように見えるけれど決して同じ出来事の連続ではない日常を描くことは
小説や映画にしかできないことなのだとも思いました。
そこにフィクションの価値があるのだと思いました。
そして、その対極にあるものとしてギミックに溢れたフィクションがあるのだと思いました。
何だか、僕はアロマテロ未遂事件を契機に、そのようなよくわからない合点がいってしまいまして、
探偵のジレンマは、ジレンマのままほおっておこう、それはフィクションが解決すべき問題ではない、
ということに相成りまして候。


今日こそ本当に無駄すぎるブログですね。
何でこんなに無駄にあふれているのでしょうか。


次回は頑張ります。

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by takekiygalmuto | 2017-06-18 01:37 | 日記