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作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

作曲をするときに

米原万里さんの『不実な美女か 貞淑な醜女(ブス)か』という本を今、読んでいる。
米原さんは、最近亡くなった超ド級に素晴らしいロシア語の通訳者で、そして、エッセイスト、小説家(「オリガ・モリソヴナの反語法」という素敵な名前の小説が本当に素敵すぎて素敵。)で、彼女が、通訳とはどのような仕事か、を書いたエッセイです。

僕は、音楽業の片手間に、時々通訳をやっているのだけれど、
本当に良く判る。自分たちが何をしているのか、ということを明確に書いてくれていて、
納得することばかり。

その中に、通訳の作業の要約として、

「ちょうどジェットコースターに乗って、徐々に高所に登っていく時に感じる後悔と恐怖の念に似ている。それでもやめられないのは、急勾配を猛スピードで下っていく時にも似た、恐怖と快感がないまぜになった気分と、終わったときの爽快な開放感と安堵感のせいね。」

という、ある通訳者の談を引いている。
本当にそう思う。

そして、この言葉は、(僕が作曲家という職業を生業としていることで、やや贔屓目な自分勝手な意見ではあるが)作曲にも当てはまるような気がした。


今書いている『二台のピアノと二人のパーカッショニストのためのソナタ』(仮)の、第一楽章が8割方、第2楽章の主題が出来上がった。
その作業の中で、常に思うのは、もしも自分が自分の書いた曲の100%を把握していたら、そこには奏者に委ねる「解釈の余地」を残せずに、収まった作品になってしまう。
しかし、もしも自分の曲を10%しか把握していないのならば、曲は方向性を失い、崩壊してしまう。
つまり、作曲者は、80%程度自分の曲を理解して、あとは感性に任せてどんどん進ませてしまえばよいのではないか。

そんなことを考えながら作曲をしている。
その作業は、常に不安で、ここにある音楽を僕が把握しているのか、していないのか、、、分からないまま、どんどん急勾配の坂を上ってゆく。主題が出来上がり、そこから一気に曲の終わり目掛けて駆け下りてゆく。
一度動き出してしまえば、もう止まれない。
坂道を走り始めてしまえば、そのまま惰性で走り続けられるけれども、どこかで転んでしまう。
その恐怖とスレスレのところで、
常に曲を書かねばならない。

何てスリリングなことをしているんだろう。。。。

と、自分でもヒヤヒヤしながら、
それでもいい曲になることを信じて、
書き進めています。
8月末くらいまでには完成予定です。(コンサートは来年4月です☆)



たけき
by takekiygalmuto | 2006-07-18 20:40 | 日記