作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

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2009年8月28日(金)
『晩夏の謝肉祭 Late Summer Carnival』
at 池袋 鈴ん小屋
出演: イーガルとロヮゾー・ナイフ 、エルナ・フェラガ~モ 、紫ベビードール 、立川亮とタンゴアカシアーノ 
スペシャルゲスト:
水中、それは苦しい 
司会:イーガル&響レイ奈

1年一度なんだからいいじゃない!と、誕生日を前にして、僕の大好きなアーティストを呼びまくってライブをしました☆
まずは、響レイ奈ちゃんに僕が作った曲を歌ってもらったら、何か自分で言うのもどうかと思うけど、すごくいい曲で聞き惚れた。

で、僕のステージはこんな感じ。

酒場のパロール
Beautiful Crime
犯罪大通り
遠い夏
夜の物語
愛の讃歌

Beautiful Crimeは、エルナ・フェラガ~モお姉さまに書いていただいた曲ですっごく素敵で怪しくて、自分では絶対に書けないような曲でした。いや~、僕はだれかに曲を頼んだことがなかったので、はじめて曲を書きおろしていただいて嬉しかった。
さらに、バンドのロヮゾー・ナイフのメンバーからは超サプライズでみんなで歌ってくれたバースデーソングの録音とか、ケーキを貰った。
しかもケーキを持ってきてくれたのは、紫ベビードールのアニーちゃんだし、何だか何だか、いつの間にかみんなで裏でそんなコトをしてて驚き。そして、恥ずかしかったけど、嬉しかった。

次は紫ベビードール!
フェムエフェムでは、いつも一緒にイベントをやっているからいつも通り…、と思いきや、やっぱり場所が変われば見え方も変わるのか、それはもう素敵でした。しかも、いつも青い部屋に来てくれるお客さんじゃない人たちに紫さんたちを見てもらえて、良かったなー、と思ったりして。

さらに、立川亮とタンゴアカシアーノ。
5月に違うところで対バンして以来、超大好きで、ぜひとも出てください!と無理やりオファーをしてしまった。
そして、今回出ていただけて、これがまたものすごく素敵でした。
フリーターの哀愁を歌ったり、昼メロなドラマみたいのをしたり、どこをとってもエンターテイメント!
演奏も抜群に上手いし、今回もまた楽しすぎた。

んでもって、次はエルナ・フェラガ~モお姉さま。
しかもエルナお姉さまには、これをやってください!というオーダーまでしていたので、僕は非常に楽しかった。
「黄色いリボン」は、男装したお姉さまが曲の最後でゴージャスな浅草サンバカーニヴァルみたいな服に! をーーーっ。
この至近距離でこんなものが見れるとは…、ドキドキしちゃいます。

そして、紫さんたちの2回目のステージを挟み、最後は、水中、それは苦しい。
シンボルずで見て以来、じじょうのうたが頭から離れなかった水中、それは苦しい。
それが、何だか知らないけれど、いつの間にか知り合いになって、そして、今回出て頂けた。
パンクなのに、激しいのに、ライブを見てると、何か感動して来ちゃって、ウルウルした。

何だろう、何でしょう。
こんなに素敵な人たちに囲まれて誕生日を迎えられたっていうのは、
本当に、うれしかった。

頑張ります、30歳も。


ライブの後は、立川亮とタンゴアカシアーノさんたちと真夜中まで飲んで、
わーーっ、ってフラフラになりながら帰宅。

最高に楽しい誕生日会でした☆
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by takekiygalmuto | 2009-08-31 13:54 | 日記

明日なのです!


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2009年8月28日(金)
『晩夏の謝肉祭 Late Summer Carnival』
at 池袋 鈴ん小屋
18:30 open  19:00 start
料金:2500円(1D付)
出演: イーガルとロヮゾー・ナイフ 、エルナ・フェラガ~モ紫ベビードール立川亮とタンゴアカシアーノ 
スペシャルゲスト:
水中、それは苦しい 
司会:イーガル&響レイ奈
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目の前で繰り広げられる感動的に気違いじみたパフォーマンスに身を委ねたら…、お色気、パンク、ボッサにタンゴ…あァ、熱い夜!
さぁ、みんな! 会社も学校も早退、早退! こぞって集まれ、池袋! 飲んで騒いで、池袋! 夏の最後のカーニヴァル!
晩夏に生まれた男イーガルが愛して止まないアーティスト総出演!


リハーサルも終わりまして、もうね、楽しみでしかたないですっ!
ぜひぜひ、明日来てください!
駆けこんで、来てくださいっ☆
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by takekiygalmuto | 2009-08-27 09:59 | 日記

ベルナール・ビュフェ

「ベルナール・ビュフェ 没後10年記念 ビュフェとアナベル 愛と美の軌跡展」へ行った。
場所は、横浜のそごう美術館。
朝から横浜まで行くというのもなかなかいいもので、到着した美術館は平日の午前中ということもあって人もまばらで静かだった。
ビュフェという画家は、美術好きの間ではあまり評価の高くない画家のように思える。それは、ビュフェの1年で変貌してしまう画風やテーマ、そして、量産画家と言われても仕方がないほどの画数、それだけならばまだしも、かなりの数の明らかな駄作がある。そして、20歳ですでに画壇の寵児として名声を博したビュフェは別荘を持ち、高級車を乗り回す、従来の“清貧”のイメージのある芸術家像からは全くかけ離れた人物だったことが災いしているのかもしれない。

しかし、僕は好きな画家と言われれば、真っ先にビュフェを挙げたいし、僕のうちの玄関にはビュフェのレプリカが飾ってある。
彼の絵の中にある黒い線で縁取られた物や人物、そして、歪曲した空間と色。僕にはそこには、大袈裟に言えば真理があるように思える。

実際に見えるもの、その向こう側に「真理」と呼ばれる何物も抗えない真実があるとすれば、精巧な写実であっても、それがそのままその真理であるかというと、それをいうこともは難しい問題だと思う。それはただの表層であって、その向こう側を映しだす鏡としての絵画である、とは断言できない。もちろん、ここには、バルトの言うような「何かを表徴するもの」として「ある物」が存在するという前提を持ってしか言えないことだとは分かっているけれども、その上で、ビュフェの絵に描かれるものは、常に表徴として存在し、それ自体が真理である故に、そこには真実があるように思える。
他の画家に対して、そう思うことはあまりないのだけれど、なぜか、僕にとってのビュフェはそういう特別な画家で、静岡にあるビュフェ美術館に行ったときのめくるめく思いをもう一度味わいたくて、横浜まで行った。

まずは、習作なのか、「波」という作品があった。
この絵、どこかで見た絵と同じ印象がある、と思い起してみると国立西洋美術館に所蔵されているクールベの「波」という絵に似ている。クールベの波は、もっとうねるように、波の崩れる瞬間をとらえ、波が迫ってくるような迫力に満ちていたけれど、ビュフェの絵は写実的な秀作なのだろう、クールベのような圧倒される感覚はないけれど、それでも美しい絵だった。
後で調べてみると、やはりビュフェはドラクロワやクールベを敬愛していたということで、やっぱり、という気持ちだった。

ビュフェは、変容する画家で、その時代によって作風やテーマが常に変わり続ける。
初期の作品は、暗い灰色に満たされていて、人物も縦長に描かれている。それそのものが不安の表徴しているかのようで、見ていて悲しさに満ちて来る。
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この「肉屋の少年」を見ていても、画家の意図や時代背景を無視して、僕に飛び込んでくるイメージは、何かのメタファーとしての具象では無く、それそのものとしての表徴、そしてそこから溢れてくる哀しさで、そこには静謐な感情があるように思える。細く長細い人物に陰鬱な雰囲気、歪んだ空間。うつろな眼は、虚空をただ見ている、という感じがする。
しかし、ここにはすでに、輪郭を黒い線で縁取るビュフェの手法は確立されていて、これは生涯変わることなく続いてゆく。

この後に50年代に入れば、ビュフェはやや色彩豊かに、そして、輪郭線はより太く力強く、人物は縦長では無く、やや歪曲化された風体で、しかし眼は未だうつろなまま、どこかを見ている。
なぜだろうか、ビュフェの人物たちは決して目線を真正面に向けない。そして、ビュフェの風景画には、本来いるはずの人間が全く排除されていて、廃墟のように描かれていることが多い。例えば、マンハッタンを描いたシリーズでは、高層ビルや道路が描かれているけれど、そこに人物はいない。本来いるはずの人物は消え、人物画の人々は目線を真正面から外している。

そのうちにプロヴァンスに住居を映したビュフェは色彩豊かになる。
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「大運河」に現れた色彩。
画面の上半分は、建造物が直線的に描かれ、下半分の水面に浮かぶゴンドラは曲線で、そして影のように形を曖昧にして描かれている。
この絵はとても大きい。この大きい絵の中に凝縮されたたくさんの色や形、描かれたすべてのものが美しく、ビュフェの一つの到達点なのではないか、と思う。ここに描かれた平和な様子は、この時代のビュフェが祈りに満ち、心に平穏を持っていたのだと思う。

そのビュフェを支えた妻アナベル。彼女の存在が、長い間ビュフェの心に平穏を作り出し、創作の原動力となったのだろう。彼女をモチーフにしたたくさんの作品、そして、違う人物が描かれているのにも関わらず、そこには妻アナベルのイメージが重なる。
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華やかさと陰りを併せ持った「カルメン」は、従来の赤いイメージをかなぐり捨てて、黒い歪なドレスに身を包んでいる。そして、顔には悲しさを湛えていて、ずっと見ていても、決して尽きることのない思いが溢れてくる。

この展示会でもっとも印象的だったものの一つは「顔」という絵で、人物(おそらく自画像)が正面を見つめている。
長い間、うつろに虚空を見つめ、真正面から人を見ることを拒絶していた、或いは恐れていたビュフェが、真っ直ぐに前を見詰めた絵に心打たれる思いだった。
何か、紆余曲折の画家生活を送りながら、派手であり、また哀しさを持ち続けた画家が決して合わせることのなかった視線を投げかけているようで、感動してしまった。

しかし、それも長くは続かずに、また彼の作風は変貌し続けてゆく。
段々と絵には髑髏や骸骨のイメージが氾濫し始め、70年代以降、晩年に至れば至るほどモチーフには死が現れる。
体は骸骨になり、しかし笑みを浮かべながら見つめる視線。展覧会最後の絵は、視線をやや斜めにしながらも、前に向けていた。
死を前にしながら、それでもほほ笑み、真正面を見続けているようなビュフェ。そこには、平穏があったのではないかと思えた。

1999年10月4日、自ら命を絶ったベルナール・ビュフェ、没後10年が経った。
何だか、本当に行けて良かった、と思った展覧会でした。
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by takekiygalmuto | 2009-08-24 17:54 | 日記

エウデモス倫理学

最近、何だか色々思うところがあって、
というか、「より良く生きる」というのがどういうことか、とか、
「より良く生きる」必要がなぜあるのか、とかそういうことを
おぼろげに考えながら、昔から何度読んでも挫折してしまいがちな
哲学の本を少し読んでいる。

んで、アリストテレスを読んでいたら、もうね、
何でしょう、2000年以上前にこんなにも哲学は完成していた、というのか、
人は2000年以上同じことを考えながら歩んできたというべきなのか、
今読んでもその内容の深さや普遍性に感銘を受ける。
ただ、アリストテレスが引用しているものや、批判している対象というものが
今となっては分からないものも多く、そういう意味では
分かりにくい部分も多々あるけれど、それでも余りある内容でした。

そんなものが、中世以降ヨーロッパでは、全く廃れて、イスラム世界にしか
残っていなかった、というのも何か不思議な気がするし、
古代ギリシャのオリジナルの文献が残っていないために分からない部分はあるけれど、
それでもまァ、今読めるので、分からない部分はそのままにして、
読んでみました「エウデモス倫理学」。

なぜに「ニコマコス倫理学」ではなく、「エウデモス倫理学」かと言えば、
エウデモス倫理学自体がニコマコス倫理学なのかもしれない、とか、
両方の倫理学が同じ巻を持っている可能性があるとか、
色々とあるようで、その中で「エウデモス倫理学」の内容、
美しい生き方とは中庸である、というところを読みたかったのです。

美しく生きることが、生きることの正しさである、というのは、
命題である。
ここに疑問の余地があるとは僕には思われないし、
多分、無いと思う。
ただ、美しく、という言葉に関しての議論の余地はあるかもしれないけれど…

そして、中庸で生きることの美しさ、というのを読むと、
何だかとてもためになりました。
何て凡庸な言い方なのかと思うけれど、
すごくためになりました。

もう少ししっかり読めると色々分かることも増えるんだろうけど、
とりあえず、アリストテレスはすごい。って改めて言うことでもないけど…。
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by takekiygalmuto | 2009-08-23 13:03 | 日記

演劇見てきました。

本日は、友達が出ている演劇を見に行った。
ていうか、場所はあうるすぽっとだし、何だか普段の生活範囲内で
演劇を見るっていうのもナカナカ楽しかったです☆

少年社中の「ロミオとジュリエット」。
シェイクスピアのロミオとジュリエットをすごい勢いで改編して、
ジュリエットが実は男だった、という設定の演劇でした。

何か、めちゃめちゃ女の子のお客さんが多くてびっくり!
このヤオイ感溢れる演劇。場所も乙女ロード近くのあうるすぽっとっていうのも
納得かも☆

友達が出てるのを見てると、やっぱり僕も頑張らなきゃなー、という気持ちになります。

がんばろーーっ!
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by takekiygalmuto | 2009-08-21 22:33 | 日記

晩夏の謝肉祭。

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2009年8月28日(金)
『晩夏の謝肉祭 Late Summer Carnival』
at 池袋 鈴ん小屋 http://www.ringoya.org/
18:30 open  19:00 start
料金:2500円(1D付)
出演: イーガルとロヮゾー・ナイフ 、エルナ・フェラガ~モ紫ベビードール立川亮とタンゴアカシアーノ 
スペシャルゲスト:
水中、それは苦しい 
司会:イーガル&響レイ奈
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目の前で繰り広げられる感動的に気違いじみたパフォーマンスに身を委ねたら…、お色気、パンク、ボッサにタンゴ…あァ、熱い夜!
さぁ、みんな! 会社も学校も早退、早退! こぞって集まれ、池袋! 飲んで騒いで、池袋! 夏の最後のカーニヴァル!
晩夏に生まれた男イーガルが愛して止まないアーティスト総出演!

イーガル誕生日記念! この日だけは、お願い! 皆様来てくださいっ


ということで、この1年間相当お世話になっている池袋の鈴ん小屋(りんごや)で誕生日記念イベントをします。
何てことか、僕もいつの間にやら30歳…。何だか節目になるようなことをしてみたいなー、と思って企画しました。
僕が愛して愛して止まないたくさんのアーティストの中から、僕が夏の終わりにぜひとも見たいと思う人たちにたくさんたくさん出演していただくことになりました。
もうね、紫ベビードールさんたちの愛をテーマにしてキッチュでポップなパフォーマンス、そして、エルナ・フェラガ~モお姉さまのお色気ムンムンなパフォーマンス、立川亮とタンゴアカシアーノさんの素敵な楽しいステージ、さらに…、僕は前から大好きすぎて困っちゃうくらいだった、水中、それは苦しいさんに出演してもらえます☆
水中、それは苦しい、と言えば、みうらじゅんとMEGUMIシンボルず、って番組で「じじょうのうた」って流れてたのを聞いて、それ以来、とりこに…。縁あって、ご一緒させていただきます!

さらーに、響レイ奈ちゃんにも歌&僕と司会をしてもらったり、ハラハラドキドキの3時間! ぶっ通しで頑張ります!

ていうかね、本気ですごいです。
だからね、だからね、1年1回でいいんです。とにかく、ライブに来てください…。
今回ばかりは、本気でお願いいたします!
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by takekiygalmuto | 2009-08-17 09:06 | 日記

美しきアジアの玉手箱2

「美しきアジアの玉手箱 シアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展」続き。

さてさて、そして、若干雑多な感の否めなかった、しかし、素晴らしい美術品群を抜けると、そこには絢爛豪華な屏風絵が並ぶ。
やはり狩野派の屏風絵の美しさや豪華さというものはいつ見ても素晴らしいと思う。
今回見た中では狩野興以の「竹虎図」や狩野重信の「竹に芥子図」など、その大きな面に描かれた美しい構図とその中に揺らめくような物語に時間を忘れてゆく。
しかし、いつも思うけれど、どうして日本人はこんな絢爛豪華な屏風や襖絵に囲まれながら生活できたのか、と不思議に思う。あまりにも圧倒されるような虎を真正面に据えた屏風や、煌びやかな世界を生活の中に置くということが、今の僕にはまだ理解が出来ない。美術品としての美しさはとても心惹かれるけれど、これが家にあったら…、と思うと、何とも複雑な思いがする。

そして、シアトル美術館展のチラシでも全面に描かれていた「烏図」
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金地に描かれたたくさんの烏。
その一羽一羽が明確に見分けがつき、それであるにも関わらず、すべてが一体となって金地と黒墨のコントラストがものすごい強烈なイメージとなって浮かび上がっている。

そこまで見て、やっと半分程度。相当疲れがたまりながら、下階に進むと、今回の最大の注目作本阿弥光悦書、俵屋宗達画の「鹿下絵和歌巻」がある。
この作品は、本来は22メートルの巻物で、前半部分は散断されて世界各地に散らばっていて、残りの部分が巻物の形のままシアトル美術館に所蔵されている。そして、その前半を復元したものと共に全貌が公開されていた。
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とにかく圧巻なのが、まず光悦と宗達の素晴らしい融和というか、二人の芸術家の作風が合致していて、その違和感の無さや美しさは比類が無い。
宗達の描く様々な鹿の美しい線。時にはなめらかな曲線で描かれ、さらにはたくさんの鹿が水を飲みに列挙している。
鹿は和歌の世界では秋の季語で、そこに光悦が秋を詠った和歌を新古今和歌集から選びとり、書している。
柔和な線で描かれた鹿の優しさの中に、墨の濃淡の美しさで書かれる和歌。秋の歌の中でも物悲しいものが多く、その侘しさが胸に迫る。
僕には、特に宮内卿の
思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ

円融院御歌
月影は初秋風とふけゆけば 心づくしに物をこそおもへ

前大僧正慈圓
いつもあでかなみだくもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ戀しき

という和歌に魅かれた。
新古今和歌集にある、万葉集や古今集の時代には無かった現代性というものが、今の僕たちの感情にも近く、胸に迫るものがあるように思った。
そして、和歌の描かれた絵巻物の、絵と文字、そしてその行間や筆の美しさ、ひとつひとつの和歌の書かれ方や濃淡。そういうものが、例え文字が読めなくとも、ひとつのデザインとしても美しく捉えられる。
本当に良い作品だと思った。

その後には志野や織部があり、これがまた美しく、モダンなデザインで心をつかまれる。

それ以降の中国美術、韓国美術などもとても良くて、じっくり見てみたい気持ちもあったけれど、あまりの疲れに集中力は途切れ、足早に見て回った。


やはり、これだけの作品があると見る方も疲れるし、そこに一貫したコンセプトが見えにくいということが一つの難点であったと思う。さらに、現在開催されている他の展覧会に比べて、判りやすさという点では、群を抜いて劣っているような気もするし、派手さもあまり無い。そんなことで客足もあまりよくないように思えたけれども、それでもゆっくりと見れたことはとても良かった。
そして、僕が住んでいたボストン美術館にある日本美術とは違うものを見れたことに価値を感じた。
ボストン美術館の作品は、基本的に岡倉天心が収集をしたもので、日本人による日本美術の保護の観点からボストンへ持って行った部分が大きい。つまり、日本人の目から見たときの価値観で集められた作品なので、何かしら安心感を持って見ることができるし、そこには一見した派手さが強い作品は少ない。それは真に日本の美を知っていた天心だからこそのコレクションがあるように思える。
一方、シアトル美術館の所蔵品はアメリカ人の手による収集であることもあってか、一見した派手さ。デザイン性の高い作品が多いように思えた。
色のコントラストや、西洋には無い構図の美しさ。そういう作品が数多く、もちろん、慧眼なのだと思う。質の高い作品がたくさんあったけれど、こんなにも日本人の収集するものとアメリカ人の収集するものでは、価値の置かれる場所が違うのだ、と改めて感慨深い気持ちになったのでした。
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by takekiygalmuto | 2009-08-16 10:45 | 日記

美しきアジアの玉手箱1

土曜日に六本木の東京ミッドタウンのサントリー美術館へ「美しきアジアの玉手箱 シアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展」へ行った。
もう、このタイトルの長さ、そして、イマイチ内容のわかりにくい感じ。シアトル美術館の名品展というつかみどころのないタイトルと、玉手箱にやられて、同行した友達は、魅惑の玉手箱展だと思っていた。ていうか、玉手箱って、何…。現実に存在するんでしょうか、玉手箱…。浦島太郎以外では聞いたことのない言葉です。

さて、展覧会の概要は、と言えば、
シアトル美術館は、東洋美術、特に日本美術の収集で有名で、その中から同館所蔵の名品が日本にやってくる、というものでした。
時代は縄文時代の土偶から江戸時代後期までと幅広くたくさんの作品があった。

まずは、土偶がある。
これがまたとても可愛くて、その形の美しさに目を奪われる。
それ以降にも古墳時代の装飾具や平安期の行道面など、とかく見た目の美しさというか、インパクトの強いものが並ぶ。

それ以降にも掛軸や皿、像などいくつもの作品が並べられているけれども、大きく日本美術という枠の中に入っているだけで、そこに何か一つの方向性というか、美術展としての明確な意図が見えない。
但し、ひとつひとつの作品の美しさは申し分無く、どれを見ていても見飽きないそれぞれの楽しさがある。

例えば、僕が感銘を受けたものは、鎌倉時代の手箱で「浦島蒔絵手箱」というもの。
もちろん、箱である。何というか、豪奢な玉手箱風の箱である。
そして、中を開ければ蒔絵で描かれた浦島太郎の物語が。
しかも浦島太郎が、今箱を開けようとしている瞬間。開ければ煙が出てきて老人になる直前の絵が描かれている。もう、すでに開けてしまった箱の内側に、箱を開けることの危うさが描かれているとは何ともシャレの利いた素晴らしいものだと思った。
他にも南北朝時代の「鹿島立神絵巻」や鎌倉時代の「駿牛図」や北斎の美人画など、美しいと思える作品が数多くある。
しかし、ひとつひとつの作品を見ていきながら、時代もコンセプトも違うたくさんの作品を見るときに、ひとつの意識の流れの中で見れず、各々の作品を前にすれば、その作品をゼロから考えなければならず、その作業に疲れてしまった。
例えば、皿や鉢と、立像と、絵巻と絵を見るのとでは見方が違うと思う。
立像は基本的にはどこかの寺にあったはずのもので、儀式性の高い、美術品としての意味もありつつも、宗教的意味合いの強いものだし、絵巻は美術でありながら記録としての意味もある。
そして、絵は、純粋に美術としての見方をするべきものであると思う。
さらに皿や鉢は、本来ならば美術品では無く、生活用品として使われていたものを鑑賞するというのは、他の美術品を見るのとは見方が根本から違うように思う。何か、人に見てもらうために描かれた絵であれば、自分から積極的に何かを見ようとしなくても自ずから作品に主張を見ることが出来る。それは仏像でも同じことで、その畏敬というか凄味は表層として分かり易い。
それに対して器というものは、美術品である、という前提を鑑賞者が飲み込んだ上で積極的に自分から器にアプローチしていかなければ、そこにある美しさを見出せない。何か、愛そう、分かろう、という気持ちで器に寄り添うことが理解になってゆくのだと思う。
その難しさが、器の魅力であると思う。
しかし、そういう違う見方を一つひとつしていくことの心労というのはなかなかだった。

つづく。
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by takekiygalmuto | 2009-08-16 10:04 | 日記

本を読む。

本日も何だかまだ気持ちが悪く、食中毒的な感じがぬぐえないんですが・・・。

そして、僕の犬、ジャン=フィリップが靴ひもを引きちぎって遊んでいたために、
どーしよー、靴を買いに行かなきゃ…。


最近、結構立て続けにアメリカ文学を読んだ。
前々からアメリカ文学は結構苦手なものも多くて、特に
現代よりのアメリカの小説はカート・ヴォネガット以外は
ほぼ読んでいなかった。

ということで、
ジョン・アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』
村上春樹『海辺のカフカ』
F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』
を読んだ。
村上春樹は日本だろ、っていうのは置いといて、
やっぱり彼の作品はアメリカ文学的だと思う。

何だか僕は、どの小説にもいたく感銘を受けた。
アーヴィングの小説の持つ、人間の悲劇性や村上春樹の小説の持つ、定められた運命へひた走る人間の人生の「劇」的な生き方。そして、僕が昔住んでいた野方に大量の魚が降る、ってそれだけですでに素敵だった。
そして、ギャッツビーは、何回も読んでいるけれど、やっぱり素敵な小説だと思う。
同時代のヘミングウェイよりも、僕には共感が持てる。
この三人は、常に人生や運命について語っている作家だと思う。

さー。
今日は一日暇だから、何しようー。
っておもったらすでに午後だし…。
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by takekiygalmuto | 2009-08-13 14:37 | 日記

食中毒っぽい。

一体何を食べたのやら…、昨日と今日、かなり気持ちが悪い。
何だろうなァ。
さかのぼって月曜日。
ジョン(犬)さんたちと佐世保バーガーを食べた、けど、別に平気だったハズ。
夜は、カレーを食べたけど、別に生とかじゃないだろうし…。

昨日はドーナツしか食べれず、
そして、本日もドーナツしか食べていない、って
何だよ、コレ。
ドーナツダイエットかよ。つーか、そんなもん無いか…。笑

ということで、かなりキツい。
何も食べなければ、平気なんだけど、
食べると、すぐ気持ち悪くなるし。

んー。がんばろっ。

明日は、出来たら家で、見たかった映画を見まくろう、と密に
思っております。




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by takekiygalmuto | 2009-08-12 23:49 | 日記