作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

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次に読む本を選ぶ時

こんにちは、イーガルです。
もうなんだか忙しすぎて、出演情報等も更新全然していないのですが

次のライブは

2017年6月30日(金)
闇夜の音楽綺譚
19:00 開場 19:30 開演
四谷三丁目 総合藝術喫茶茶会記
3000円
あやちクローデル×イーガル

ワンマンです。
あやちのHPに30日(土)とありますが、金曜日の間違いです。
曜日を間違いがちな我らですが頑張ります。



さて、こんなにニッチなブログにも関わらず、読者の方がいるようで
何やら質問を受けたりします。びっくりしました。ごめんなさい。

どうやって読む本を決めてるんですか。

と聞かれました。

はて。どうやって決めているのでしょう。

以前にも書いたような書かなかったような曖昧な記憶しかないのですが
僕は小学校一年生から六年生まで年間100冊読むという学校の方針をめでたく守ってしまった結果、
現在に至るまで年間100冊以下の読書量になったことがないのです。
つまり、まぁ3000冊以上のデータベースがあるわけです。
何となく読みたい本の雰囲気があるとすれば、
ある程度大きい分母を持ったデータベースの中から情報をひっぱり出してくるのが
早いのではないかと思うわけです。

僕の頭の中のデータベースを書いてみたいと思います。

まずは、ジャンル分け。

概ね、自分の興味のある分野は分かっているので、まず
フィクション、ノンフィクションに分けます。
そして、
日本、ヨーロッパ、アメリカ、アジアに分けます。

ここで8通りの結果になりましたね。世界中の本のうち自分が読みたいものは1/8になったわけです。
さらに

フィクションは

純文学
大衆文学
SF
ミステリ
ヌーヴォーロマン
幻想文学

くらいに大雑把に分けています。もうこのへんは趣味の世界ですね。

ノンフィクションは

紀行文
日記
哲学
思想
評論
伝記
学術書
歴史
社会学
建築

とかに分けています。もうこのへんは趣味の世界ですね。

さらに、

ひとつひとつのジャンルの中から更に細分化されたジャンルに分けていきます。

手っ取り早くいけば、
まず、何かSF読みたいな、と思ったら、どこの国がいいかな、と考えます。
ある程度の数を読んでいくと、国や年代によって傾向が分かってきたりします。

アメリカの硬派なSF読みたいな、と考えたら

フィクション→アメリカ→SFまで来ております。
SFのジャンルを考えると
スペースオペラ
タイムトラベル
サイバーパンク
デストピア
社会派
未知との遭遇
火星もの
ニューウェーブ
戦争もの
歴史改変
異世界
などなど、枚挙に暇がないわけですが、
どうも、硬派なSFならニューウェーブかなぁ、とか当たりをつけて、それならハーラン・エリスンあたりが…
おぉ、何か文庫本新刊が出てる!これだ!

とかって言う風に本を選んでおります。

哲学なんかは簡単ですね。
その人の哲学が気になれば、その源流に何があるのか、そしてその人の影響を受けた人は誰なのか、
さらにその人を批判しているのは誰なのか、
それさえ分かれば何とかなります。

あとは、何となく、
文庫本に関して言えば、出版社別に色があるというか、もちろん、同じ作家が色々な出版社から出しているわけですが、
何となくですよ、何となく色分けがあるとは思ってます。

岩波文庫は冒険の少ない安定の古典中心
新潮文庫は冒険の少ない安定の近現代中心
河出文庫はちょっとニッチな小説が多く
講談社文庫はエンタメでミステリが多く
ハヤカワはSFの充実が素晴らしい
中公文庫はハズレが少なく
チャレンジングな気持ちで新書にレッツゴー。

とか何とか、これは個人の意見ですが、僕はこういう感じで、何となくこんな風なものが読みたい、と思ったときは、
自分の中のデータベースと、出版社別の傾向を考えながら当たりをつけてたりします。

さて、これはもう、本を読まなければいけない、という強迫観念の中で本を選ぶときのことでございまして、
普段でしたら、本を読んでいるとその中に別の本との類似性や関連性、影響を受けたものが透けてみえてくるものです。
これも頭のデータベースの量に依存するのかもしれませんが、
そうではなくても簡単に次の本を選び取ることはできると思います。

例えば、今読んでいる本が面白ければ、その作家の違う本を読むだとか、本の内容と扱っているジャンルが近いものを選ぶだとか、
無数に次の本へと進む手段はあるわけです。
要は、考えろ。と。
一体、自分はこの本の何がどのようにどうして好きだと思えたのか。それがわかれば、
次へ進む道は開けているのではないでしょうか。

何だか偉そうだな、僕。すいません。


例えば今月の読書、どんな道筋だったか記憶にある限り書いてみますと

SFを読んでいて、ちょっと息抜きに見た魔法少女まどか☆マギカから、あれー、そういえば
宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」の補足に出てたっけな、とか思いながら再読。
あまりの東浩紀批判に何だかよくわからなくなって
東浩紀の「動物化するポストモダン」と「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んで、
社会のデータベース化、小さな物語のことなどを考えたりしているうちに、
宇野さん、東さんが引用している小説を幾つか読んで、面白かったり面白くなかったりしながら、
最終的に友達から借りパク気味に放置されていた東浩紀の「セカイからもっと近くに」を読みました。
これは、セカイ系と呼ばれる小説からの脱却の方法を色々な作家やアニメーター、漫画家の作品に照らし合わせて
提示するというやつでした。
何だか、人が人のことを話してるのって面白いな、と思って、久しぶりに何か対談を読もうと
西尾維新が様々な人と対談した「本題」を読みました。一人の人以外の対談は大変面白かったです。
苦手だった一人の人は、やっぱり苦手でした。

んで、「セカイからもっと近くに」と西尾維新を代表とするようなラノベの両方の脳みそになった僕は、
折衷案的な森博嗣の「スカイ・クロラ」シリーズ5冊を読み始めたわけです。
でも、5冊一気に読むのも何だかなぁ、と1冊終わる毎に一応物語は簡潔しているので他の小説を読んでみました。
間に挟んだのは、田中哲弥の「大久保町は燃えているか」。
これはバカSFというか単なるコメディーというか…ストイックなスカイ・クロラシリーズと対極のものを、と思いまして
読みました。
それから、舞城王太郎をちょっと挟んで、スカイ・クロラ三冊目を読了。
ここでストイック過ぎるスカイ・クロラとは違う飛行機ものを読もうと、ラノベの王道
犬村小六の「とある飛行士への追憶」を読んでセンチメンタル全開になった勢いでスカイ・クロラ4,5冊めを読了。
いまここ。

さて、次に何を読もうか、と僕はまた頭の中のデータベースと交信をし始めるのでした…。


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by takekiygalmuto | 2017-06-29 15:41 | 日記
こんばんわ、イーガルです。
深夜ですね、そうですね。
なんでこんな時間になったのかと言えば、
今日はマカロニと世界の稽古後に、みんなで肉を食べていたからです。
おいしかったです。
ありがとうございました。
そんな稽古の様子はマカロニと世界のTwitterを御覧ください。

んで!
稽古をしたということは!
マカロニと世界が何かやるわけです。
明日18日㈰ 池袋 芸劇前で15:00すぎから17:00まで
マカロニと世界、ヘブン活動いたします。
河童と遊ぶやつです。
いいですね、見たいですね。

告知は色々あるのですが
来週火曜日、水曜日は原宿のラドンナにて「Music Cocktail Culb vol.4」に出演します。
こちら、お陰様で前売り完売しております。

そして、6月30日㈮はあやちイーガル、茶会記でございます。



さて、ですね、前回ブログで洗濯における認識論を鮮やかにあぶり出したわけですが、
別に洗濯が嫌いだから誰かに洗濯して欲しいわけではなくて、
洗濯をする、という行為から認識論の話をしたかっただけでして、事実がどうということではないのです。
人生は洗濯の連続、と樹木希林もCMで言っております。選択、ですけれど。


さて。
今日はですね、名探偵のジレンマについて書こうと思っております。
小説や映画やドラマに名探偵って出てくるじゃないですか。
彼らは天才と呼ばれ、些細な物事から真実を導き出す、という神業を成し遂げるわけです。
だがしかし、困ったことに
名探偵は、事件が起きてからでなければ事件を解決できない、というジレンマがあるわけです。
そりゃあ、フィクションだからそうだよね、と言えばそれまでなのですが、
そんな些細なことから大事件を解決できるのならば、事件を未然に防げるのではないか、という
とても真っ当な批判がつきまとうわけです。
何というか、連続殺人事件何かを捜査していて、あと2人くらい殺される前に止められたんじゃね?
みたいなツッコミはやっぱりあるわけで、
どんどん人が死んでいくのに解決できていないのに果たしてそれは名探偵なのか、というそもそも論もあるわけです。
ミステリである以上、事件が起きていなければいけないわけですが、
色々な作家が色々な手段を使ってその「名探偵」の
メタ的な立ち位置を整えようと試みていますが、
やはり名探偵が登場すると事件が起きるので、
名探偵がいなければ事件が起きなかったのではないか、という元も子もない何かになってしまうことを止められない、
大変根の深いジレンマなわけです。
例えばですよ、殺人事件を未然に防いでいたら、防いだことによって訪れない殺人事件は決して訪れないので、
本当に防いだかどうかは何ともいい難い。ただ、物的に準備をしていることを察して防いだとすれば、
それはきっと防いだのでしょうが、未遂なわけです。そこに小説としての面白さを兼ね備えるというのは、
大変ハードルが高いように思います。
僕が読んでないだけで、そのような小説があるのかもしれませんが、まだ読んだことが無いか、忘れてしまいました。
井上真偽さんが「探偵は早すぎる」という事件を未然に防ぐ小説を最近出版されたので、
読んでみようかと思います。



ええ、本日も前置きが長くなりましたが
名探偵イーガルは昨日ですね、深煎りの珈琲豆を400グラムほど買いまして、密封して頂いたんですね。
それでも溢れるような珈琲のアロマ。さすが深煎りです。
そんな珈琲豆を入れたカバンが、何だか遅延して激混みの電車の中で潰されそうになるという大変な事態に遭遇いたしました。
僕は思ったね。
「やばい。このまま珈琲袋が破裂したら、大きな音と共に珈琲のアロマが電車中に流れだして、
人々が癒やされてしまう!」
と。

そんな惨事は絶対に防がなければならない。
その一心で、カバンと人の間に出来る限りのスペースを作り、
さらにカバンの中の硬いものである程度の幅を確保、その上に張り裂けんばかりに膨らんだ珈琲袋をふたつ載せ、
見事帰宅に成功しました。
名探偵イーガルは未然に事件を防ぎ、そして、週末の殺伐とした車内はアロマで癒されることもなく、
平坦な日常が続いたわけです。

こう書くと、何だ、そんなことか、とお思いのあなた、
想像して御覧なさい。
混み合った、そして大体酒の入った人たちの満員電車の中で大きな破裂音がしたら、
それはもう、大混乱のうちにヤフーニュースですよ。
名探偵イーガルはそんな近未来を予知して、未然に事件を防いだわけです。

そして気づいてしまったんですね。
現実世界でも、未然に事件を防ぐと、何も起こらなかったことと同義になってしまう、ということに。
しかし、何も起こらないように見えるけれど決して同じ出来事の連続ではない日常を描くことは
小説や映画にしかできないことなのだとも思いました。
そこにフィクションの価値があるのだと思いました。
そして、その対極にあるものとしてギミックに溢れたフィクションがあるのだと思いました。
何だか、僕はアロマテロ未遂事件を契機に、そのようなよくわからない合点がいってしまいまして、
探偵のジレンマは、ジレンマのままほおっておこう、それはフィクションが解決すべき問題ではない、
ということに相成りまして候。


今日こそ本当に無駄すぎるブログですね。
何でこんなに無駄にあふれているのでしょうか。


次回は頑張ります。

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by takekiygalmuto | 2017-06-18 01:37 | 日記

洗濯問題。

こんばんは、イーガルです。
やはりミュシャ展に行く前でブログは止まっておりました。
ミュシャ展どうだったかって? それはもう、大きかったです。
ミュシャの絵に出て来る人のコスプレをしたりして楽しんできました。
これはもはや美術展ではなく体感型アトラクション。

まぁ、結果は
こちら。イーガルのインスタグラムに何個か載ってます。

さて、告知!

今週末はまたしても素敵イベントが!


ってなことで、ヒロくんと僕のユニット、バロン(Le Baron)が定期的にライブをすることになりまして、
最初のゲストは、フードスタイリストのマロンちゃん!
一昨年ごろから仲良くさせて頂いてるんですが、僕らが一緒にライブをするなら誰がいいかなー、というときに
真っ先に浮かんだのがマロンちゃんでした。
料理を作る人に歌ってもらう、って素敵じゃないですか。
そしてね、マロンちゃん、かなり歌が素敵なんですよ。
必見だね、もうこれは必見ですから、お時間有る方は是非いらしてください。



さて、今週の告知は終了いたしました。


最近ですね、思うことがあるんですよ。
洗濯機まわりのことなんですけども、
何だか洗濯機がさ、洗濯物を入れると、洗剤の量を自動的に教えてくれたりするでしょう。
こんくらいだよ? みたいな。
あの量が全然正確にわからなくて、
このくらい、かな…、あ、もちょっと、かな…、ん、多いの、かな…
みたいな、確信の無い状態で恐る恐る入れる洗剤。
そして、洗剤を多く入れすぎると洗浄力は落ちていくという罠との戦い。
少なければ洗浄力が足りず、多ければ洗浄力が落ちる中、
ものすごいあやふやな指示のもと洗剤を入れる人間の気持ちを察してください。
あの状況の元、正解を出せる気がしません。

そして、洗濯と言えば、どうしても無くなる靴下の片方。
これがまた、ある日突然、どこからともなく返ってきたりするわけですよね。
何ていうんだろう、
本当に靴下は揃いで存在したのであろうか。
我々の認識はどれほど確かなものなのであろうか。
洗濯はもはや認識論でしかないのではないだろうか。

ボルヘスの何かの短編に、道で落とした小銭を探しても探しても見つからなくて、
何かの拍子に(次の日だったかなんかそんな)見たら、そこに落とした小銭があった、という
話がありまして、
ボルヘス曰く、そこにずっと在ったわけではなく、一度異次元へすっ飛ばされて、
そこへ帰ってきた、というのが筋が通っているんではないか、というわけです。

ほら、探し物とかもさ、一度探したところ、何度も探したところ、そんなところから
探しているものが見つからなくて、一回諦めて時間をおいてみたら、
やっぱり一度探したところから出てくることとかありますでしょう。

これはどういうことなのだろうか。

一度「無い」と思ってしまった人間にはそれそのものの存在を認識する力が低下してしまうのか、
はたまたボルヘス曰く、異次元へすっ飛ばされて帰ってきているのか…

どっちが正解でも(あるいはどちらが不正解でも)いいのです。
結果として、探し物が見つからない→諦める→再度探す→見つかる
というプロセスは変わらないわけですね。
これをどう認識すればいいのか。それは人それぞれでしょうが、
それにしても見つからない靴下の片方。
あなたはどこへ行ってしまったのでしょう。
もしかして、そもそも

靴下はどこから来たのか 靴下は何物か 靴下は何処へ行くのか

ということなのではないだろうか、と思いをはせております。靴下とは哲学なのではないか、と。
ゴーギャンのあの絵、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか」
は素足です。
靴下がどこかへ行ってしまったのではないでしょうか。

ここでひとつ好例を出そうと思います。(現代思想、カルチャー論の人がよく使うでしょ、好例とか自分で言っちゃってさ)

女子のヘアピン問題。

さあ、女子の皆さん、経験おありでしょうか。
学生時代、あんなにも頭にさしていたヘアピンがいつの間にか消えている。
そしてある日突然どこからともなく出て来る。
さらには、消えたヘアピンが、「あたしあるよー」とか言って、隣の女の子の頭から出てくる。

男子にはさっぱり分からないこの超常現象。
やはりヘアピンも一回異次元にふっ飛ばされて、帰ってきたけどちょっと場所間違えた、てへ。
みたいなことなんじゃないかと思います。

そして、さらにここで、見つかったあとにも問題は残るわけです。

見つかった靴下orヘアピンは、失くなる前のものと同一であるのかどうか、という問題です。
もうこれは、バートランド・ラッセル先生を前にしても大変むつかしい問題だ。

全く話が見えませんね。


つまりですね、洗濯をすると、
洗剤の量の最適値問題と、靴下消失イリュージョン問題の2つが同時に押し寄せてきて、
出来事が認識論の世界に移っていってしまう、ということなのです。
こんな葛藤をもったまま、洗濯をするだなんて大変!
なので、洗濯が好きではありません。
だけど、洗濯機に洋服を入れて何かすると綺麗になって出て来る。
その現象だけを表層としてとらえられればこんな迷いは無いのだろう、と
信じつつ、頑張ります洗濯。なせばなる。

ちなみに僕はほとんど洗濯を自分でしたことがなくて、
これはつまりアメリカに住んでたりなんかするとアパートに洗濯機を置いちゃいけなくて、
コインランドリーに行かなきゃいけなかったりするんです。
騒音問題とか、雇用問題とか関係しているらしいのですが。
でね、コインランドリーに行くとおばちゃんがいて、その人にお金払うと
洗濯機と乾燥機やっておいてくれるんですよ。
自分でやりゃいいんだけど、そんなの面倒くさいからちょっと割高だけど頼んじゃうのね。

そーするとね、ここでも見事に靴下が無くなってたりするわけですよ。
ある日、おばちゃんが履いてる靴下を見て
「あれー、なんか見たことあるぞぉ」
とか思っても、果たしてその気持ちは本当か。
俺の靴下とあの靴下は同一なのか。
いや、そんなことは分からない。
真相は藪の中。


本日は認識論に迫る鋭い切り口のブログでしたね。
ソラマチ大道芸ご来場ありがとうございました。
もう僕の3ボールカスケードでは驚いてもらえないことが今回の収穫です。
もっと頑張ります。

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by takekiygalmuto | 2017-06-07 19:52