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作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

ベルナール・ビュフェ

「ベルナール・ビュフェ 没後10年記念 ビュフェとアナベル 愛と美の軌跡展」へ行った。
場所は、横浜のそごう美術館。
朝から横浜まで行くというのもなかなかいいもので、到着した美術館は平日の午前中ということもあって人もまばらで静かだった。
ビュフェという画家は、美術好きの間ではあまり評価の高くない画家のように思える。それは、ビュフェの1年で変貌してしまう画風やテーマ、そして、量産画家と言われても仕方がないほどの画数、それだけならばまだしも、かなりの数の明らかな駄作がある。そして、20歳ですでに画壇の寵児として名声を博したビュフェは別荘を持ち、高級車を乗り回す、従来の“清貧”のイメージのある芸術家像からは全くかけ離れた人物だったことが災いしているのかもしれない。

しかし、僕は好きな画家と言われれば、真っ先にビュフェを挙げたいし、僕のうちの玄関にはビュフェのレプリカが飾ってある。
彼の絵の中にある黒い線で縁取られた物や人物、そして、歪曲した空間と色。僕にはそこには、大袈裟に言えば真理があるように思える。

実際に見えるもの、その向こう側に「真理」と呼ばれる何物も抗えない真実があるとすれば、精巧な写実であっても、それがそのままその真理であるかというと、それをいうこともは難しい問題だと思う。それはただの表層であって、その向こう側を映しだす鏡としての絵画である、とは断言できない。もちろん、ここには、バルトの言うような「何かを表徴するもの」として「ある物」が存在するという前提を持ってしか言えないことだとは分かっているけれども、その上で、ビュフェの絵に描かれるものは、常に表徴として存在し、それ自体が真理である故に、そこには真実があるように思える。
他の画家に対して、そう思うことはあまりないのだけれど、なぜか、僕にとってのビュフェはそういう特別な画家で、静岡にあるビュフェ美術館に行ったときのめくるめく思いをもう一度味わいたくて、横浜まで行った。

まずは、習作なのか、「波」という作品があった。
この絵、どこかで見た絵と同じ印象がある、と思い起してみると国立西洋美術館に所蔵されているクールベの「波」という絵に似ている。クールベの波は、もっとうねるように、波の崩れる瞬間をとらえ、波が迫ってくるような迫力に満ちていたけれど、ビュフェの絵は写実的な秀作なのだろう、クールベのような圧倒される感覚はないけれど、それでも美しい絵だった。
後で調べてみると、やはりビュフェはドラクロワやクールベを敬愛していたということで、やっぱり、という気持ちだった。

ビュフェは、変容する画家で、その時代によって作風やテーマが常に変わり続ける。
初期の作品は、暗い灰色に満たされていて、人物も縦長に描かれている。それそのものが不安の表徴しているかのようで、見ていて悲しさに満ちて来る。
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この「肉屋の少年」を見ていても、画家の意図や時代背景を無視して、僕に飛び込んでくるイメージは、何かのメタファーとしての具象では無く、それそのものとしての表徴、そしてそこから溢れてくる哀しさで、そこには静謐な感情があるように思える。細く長細い人物に陰鬱な雰囲気、歪んだ空間。うつろな眼は、虚空をただ見ている、という感じがする。
しかし、ここにはすでに、輪郭を黒い線で縁取るビュフェの手法は確立されていて、これは生涯変わることなく続いてゆく。

この後に50年代に入れば、ビュフェはやや色彩豊かに、そして、輪郭線はより太く力強く、人物は縦長では無く、やや歪曲化された風体で、しかし眼は未だうつろなまま、どこかを見ている。
なぜだろうか、ビュフェの人物たちは決して目線を真正面に向けない。そして、ビュフェの風景画には、本来いるはずの人間が全く排除されていて、廃墟のように描かれていることが多い。例えば、マンハッタンを描いたシリーズでは、高層ビルや道路が描かれているけれど、そこに人物はいない。本来いるはずの人物は消え、人物画の人々は目線を真正面から外している。

そのうちにプロヴァンスに住居を映したビュフェは色彩豊かになる。
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「大運河」に現れた色彩。
画面の上半分は、建造物が直線的に描かれ、下半分の水面に浮かぶゴンドラは曲線で、そして影のように形を曖昧にして描かれている。
この絵はとても大きい。この大きい絵の中に凝縮されたたくさんの色や形、描かれたすべてのものが美しく、ビュフェの一つの到達点なのではないか、と思う。ここに描かれた平和な様子は、この時代のビュフェが祈りに満ち、心に平穏を持っていたのだと思う。

そのビュフェを支えた妻アナベル。彼女の存在が、長い間ビュフェの心に平穏を作り出し、創作の原動力となったのだろう。彼女をモチーフにしたたくさんの作品、そして、違う人物が描かれているのにも関わらず、そこには妻アナベルのイメージが重なる。
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華やかさと陰りを併せ持った「カルメン」は、従来の赤いイメージをかなぐり捨てて、黒い歪なドレスに身を包んでいる。そして、顔には悲しさを湛えていて、ずっと見ていても、決して尽きることのない思いが溢れてくる。

この展示会でもっとも印象的だったものの一つは「顔」という絵で、人物(おそらく自画像)が正面を見つめている。
長い間、うつろに虚空を見つめ、真正面から人を見ることを拒絶していた、或いは恐れていたビュフェが、真っ直ぐに前を見詰めた絵に心打たれる思いだった。
何か、紆余曲折の画家生活を送りながら、派手であり、また哀しさを持ち続けた画家が決して合わせることのなかった視線を投げかけているようで、感動してしまった。

しかし、それも長くは続かずに、また彼の作風は変貌し続けてゆく。
段々と絵には髑髏や骸骨のイメージが氾濫し始め、70年代以降、晩年に至れば至るほどモチーフには死が現れる。
体は骸骨になり、しかし笑みを浮かべながら見つめる視線。展覧会最後の絵は、視線をやや斜めにしながらも、前に向けていた。
死を前にしながら、それでもほほ笑み、真正面を見続けているようなビュフェ。そこには、平穏があったのではないかと思えた。

1999年10月4日、自ら命を絶ったベルナール・ビュフェ、没後10年が経った。
何だか、本当に行けて良かった、と思った展覧会でした。
by takekiygalmuto | 2009-08-24 17:54 | 日記