那智瀧図と自然の造形
2009年 10月 21日
根津美術館が新しくなった。
そして、何と8つの企画が順次展開されてゆくということで、本当に楽しみなのだけれど、
根津美術館の所蔵品の中でも特に有名な燕子花図屏風は、改装前から、かきつばたの時期にしか見られなかったけれど、新装してからもその形は変わらず、4月下旬にやってくる。
それまでの間は、茶器や青銅器など、何とも渋い展示が続き、毎回楽しみではあるのですが、
その第一弾は国宝「那智瀧図」をメインにして、他には自然の造形を描いた主に平安期から鎌倉期の絵や書が展示されている。
まずは、新装された根津美術館。隅研吾デザインの新しい美術館は、前よりも何だか広々としていて、広さも丁度良く、さらにガラスの向こう側に広がる根津嘉一郎の日本庭園が、手入れも行き届き、奇麗になっていた。
昔は入れない箇所もあったけれど、現在ではほぼ庭園を回ることができる。
この庭園、天下の根津嘉一郎自らが指揮をとり、石を運んだ庭園。この起伏の激しさで、一番深い場所に行けば、都会の喧噪も聞こえず、高いビルディングも見えない。…と言いたいところだけれど、いつの間にか六本木の森ビルがチラチラ見える。
んー、こんな借景は…、と思うところもあるけれど、それでも素敵な庭園で、とても良かった。
展示はと言えば、
まずは、仏画がある。曼荼羅が並ぶ。そして、その真ん中に「那智瀧図」。
何故にこの風景画が仏画と共にあるのか、と言えば、それは熊野の那智の滝そのものが神として信仰の対象とされてきたことに所以する。それ故に、「那智瀧図」は仏画ととらえられる。
僕は色弱で、緑と茶色の差が良く分からないので、どうにもこうにも、暗い色の中に、真白い筋が伸びているように見える。よくよく見ても、あまりその色のコントラストは分からない。それにも関わらず、そこにある静謐な雰囲気は凄まじく、巨大な滝の持つただただ豪快で大味な大量の水の集積では無く、静かに筋のように伸びた白さ、その穏やかさや静けさを持った水がそこにはあるような気がして、これでもっと色がはっきりと見えれば、もっと感動したのではないか、と思った。
この「那智瀧図」はアンドレ・マルローが感動した、というエピソードが残っているが、大体「…この飛瀑図は、至高の記号であり、カリグラフィーである……月は、滝の、まぶしい可逆的となっている…。」云々と語っている。僕には、これは西洋的な考え方を基盤にした場合には自然に生まれてくる考え方であるように思う。しかし、僕が思うには、バルトの言うように日本は象表徴の帝国であり、「那智瀧図」に描かれているものは、那智の滝そのものであり、それと同時に神であり、さらには、そこで写実的ではなく、描かれた那智の滝は、表徴であり、目に見えたありのままの姿では無く、本質というものが描かれているのだと思う。マルローは、描かれたものが、何かを表す記号であると解釈していると思うけれど、僕は、「那智瀧図」の美しさとは、それがただそれそのものである、ということの美しさなのだと思う。
続いてたくさんの作品があったけれど、「手を競う―王朝びとの筆のあと」では、主に平安期の人々の書が展示されている。
何だか何だか凄い。切がたくさんあり、そこに書かれた文字は部分部分によっては判読はかなり難しく、つまり、それは日本の書というものが、昔から内容を伝えるためのものでは無く、文字列の美しさを取り、判読できる部分から推測される全文は口伝されている場合が多々ある。ある時期以降には、口伝が廃れたとしても、書かれたもの、そのものがあれば内容が分かるようにと、分かり易い文字で書かれたものも現われてくるけれども、それは、そろそろ始まる東京都美術館の冷泉家の展覧会に方に任せれば良い。
根津美術館には、分かり易いものもあるものの、判読が難しいけれど、その線の美しさや、推測から読める部分を埋め合わせていったときに現れる和歌が楽しかった。
さらに古代中国の青銅器に関して言えば、根津美術館のコレクションは日本屈指のものである。
大変な数の儀式で使用されていたと思われる青銅器が並ぶ。
明清の漆工と陶磁でも美しいものが並ぶ。
但し、僕はその時にもよるけれど、大体の場合、積極的に美術品として工芸品を考えようとしなければ、美術館の陳列棚に並べられた漆工や陶磁を見ることが出来ない。今回もあまり積極的に見る気がしなくなって、ぼんやりと眺めてしまった。
ただ、堆朱牡丹文盆など、堆朱の精巧な作りと美しい色に魅せられたり、なかなか楽しかった。
そして最後の展示室は「初陣茶会」と名付けられ、根津嘉一郎が、茶器に関しても相当のコレクションを持って、満を持して開いた初めての茶会「初陣茶会」の様子が再現されている。
他にも根津嘉一郎の茶器が並び、その何とも言えない美しさに感銘を受ける。どうしてなのか分からないけれど、大陸の器とは違い、積極的に見なくても、日本の器にはそっと寄り添えるような気がする。
そして、いくつかの道具には、銘があり、千宋旦作の茶杓には、よろほうし、道入作と伝えられる赤楽茶碗には、冬野、など、なるほど、と思わせる。道具に銘をつける洒落っ気にも、何だか楽しくなる。
そして、「初陣茶会」の道具は、かなりのものが東南アジアのものを使用していて、、そこにも根津嘉一郎の思い切りの良さと、勝負の初陣への気迫を感じられた。
初めての茶会で、日本のものを中心に揃えるのではない。根津嘉一郎のコレクションのどこに重要性があり、何がしたい人なのか、ということが十分に伝わる初陣茶会の様子だった。
(根津嘉一郎は、持ってきた品物は何でも買い、自分では物の良さは分からない、と言う大変謙虚な人だったという話も聞く。)
新装されて最初の展示会が、これとは渋い。
渋すぎて、根津美術館、さすが!と思った。
これから毎月、展示が変わったら見に行かねば!
そして、何と8つの企画が順次展開されてゆくということで、本当に楽しみなのだけれど、
根津美術館の所蔵品の中でも特に有名な燕子花図屏風は、改装前から、かきつばたの時期にしか見られなかったけれど、新装してからもその形は変わらず、4月下旬にやってくる。
それまでの間は、茶器や青銅器など、何とも渋い展示が続き、毎回楽しみではあるのですが、
その第一弾は国宝「那智瀧図」をメインにして、他には自然の造形を描いた主に平安期から鎌倉期の絵や書が展示されている。
まずは、新装された根津美術館。隅研吾デザインの新しい美術館は、前よりも何だか広々としていて、広さも丁度良く、さらにガラスの向こう側に広がる根津嘉一郎の日本庭園が、手入れも行き届き、奇麗になっていた。
昔は入れない箇所もあったけれど、現在ではほぼ庭園を回ることができる。
この庭園、天下の根津嘉一郎自らが指揮をとり、石を運んだ庭園。この起伏の激しさで、一番深い場所に行けば、都会の喧噪も聞こえず、高いビルディングも見えない。…と言いたいところだけれど、いつの間にか六本木の森ビルがチラチラ見える。
んー、こんな借景は…、と思うところもあるけれど、それでも素敵な庭園で、とても良かった。

まずは、仏画がある。曼荼羅が並ぶ。そして、その真ん中に「那智瀧図」。
何故にこの風景画が仏画と共にあるのか、と言えば、それは熊野の那智の滝そのものが神として信仰の対象とされてきたことに所以する。それ故に、「那智瀧図」は仏画ととらえられる。
僕は色弱で、緑と茶色の差が良く分からないので、どうにもこうにも、暗い色の中に、真白い筋が伸びているように見える。よくよく見ても、あまりその色のコントラストは分からない。それにも関わらず、そこにある静謐な雰囲気は凄まじく、巨大な滝の持つただただ豪快で大味な大量の水の集積では無く、静かに筋のように伸びた白さ、その穏やかさや静けさを持った水がそこにはあるような気がして、これでもっと色がはっきりと見えれば、もっと感動したのではないか、と思った。
この「那智瀧図」はアンドレ・マルローが感動した、というエピソードが残っているが、大体「…この飛瀑図は、至高の記号であり、カリグラフィーである……月は、滝の、まぶしい可逆的となっている…。」云々と語っている。僕には、これは西洋的な考え方を基盤にした場合には自然に生まれてくる考え方であるように思う。しかし、僕が思うには、バルトの言うように日本は象表徴の帝国であり、「那智瀧図」に描かれているものは、那智の滝そのものであり、それと同時に神であり、さらには、そこで写実的ではなく、描かれた那智の滝は、表徴であり、目に見えたありのままの姿では無く、本質というものが描かれているのだと思う。マルローは、描かれたものが、何かを表す記号であると解釈していると思うけれど、僕は、「那智瀧図」の美しさとは、それがただそれそのものである、ということの美しさなのだと思う。
続いてたくさんの作品があったけれど、「手を競う―王朝びとの筆のあと」では、主に平安期の人々の書が展示されている。
何だか何だか凄い。切がたくさんあり、そこに書かれた文字は部分部分によっては判読はかなり難しく、つまり、それは日本の書というものが、昔から内容を伝えるためのものでは無く、文字列の美しさを取り、判読できる部分から推測される全文は口伝されている場合が多々ある。ある時期以降には、口伝が廃れたとしても、書かれたもの、そのものがあれば内容が分かるようにと、分かり易い文字で書かれたものも現われてくるけれども、それは、そろそろ始まる東京都美術館の冷泉家の展覧会に方に任せれば良い。
根津美術館には、分かり易いものもあるものの、判読が難しいけれど、その線の美しさや、推測から読める部分を埋め合わせていったときに現れる和歌が楽しかった。
さらに古代中国の青銅器に関して言えば、根津美術館のコレクションは日本屈指のものである。
大変な数の儀式で使用されていたと思われる青銅器が並ぶ。
明清の漆工と陶磁でも美しいものが並ぶ。
但し、僕はその時にもよるけれど、大体の場合、積極的に美術品として工芸品を考えようとしなければ、美術館の陳列棚に並べられた漆工や陶磁を見ることが出来ない。今回もあまり積極的に見る気がしなくなって、ぼんやりと眺めてしまった。
ただ、堆朱牡丹文盆など、堆朱の精巧な作りと美しい色に魅せられたり、なかなか楽しかった。
そして最後の展示室は「初陣茶会」と名付けられ、根津嘉一郎が、茶器に関しても相当のコレクションを持って、満を持して開いた初めての茶会「初陣茶会」の様子が再現されている。
他にも根津嘉一郎の茶器が並び、その何とも言えない美しさに感銘を受ける。どうしてなのか分からないけれど、大陸の器とは違い、積極的に見なくても、日本の器にはそっと寄り添えるような気がする。
そして、いくつかの道具には、銘があり、千宋旦作の茶杓には、よろほうし、道入作と伝えられる赤楽茶碗には、冬野、など、なるほど、と思わせる。道具に銘をつける洒落っ気にも、何だか楽しくなる。
そして、「初陣茶会」の道具は、かなりのものが東南アジアのものを使用していて、、そこにも根津嘉一郎の思い切りの良さと、勝負の初陣への気迫を感じられた。
初めての茶会で、日本のものを中心に揃えるのではない。根津嘉一郎のコレクションのどこに重要性があり、何がしたい人なのか、ということが十分に伝わる初陣茶会の様子だった。
(根津嘉一郎は、持ってきた品物は何でも買い、自分では物の良さは分からない、と言う大変謙虚な人だったという話も聞く。)
新装されて最初の展示会が、これとは渋い。
渋すぎて、根津美術館、さすが!と思った。
これから毎月、展示が変わったら見に行かねば!
by takekiygalmuto
| 2009-10-21 04:01
| 日記