作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

年中行事・嵐が丘

こんばんわ、いつの間にか冬ですね。毎年心構えをする前に冬がやってきていて、あとから気づくのはなんででしょう。

前のブログからまたしても一カ月経過しております。どうしてなのか。
これには深い訳がありまして、
今年の僕は10月末までものすごく忙しかったのです。あたかも働き蜂のごとく、仕事をせっせとしていた訳です。
それが!11月以降はそんな忙しさも終わり、年末まで比較的暇だと思っておりました。

ところがね、11月以降も大して暇になってないことに気付いてしまったのです。
10月までは何かしらクリエーションを抱えていて、同時にいくつかの仕事を進めていくことが多かったので、
それが終わって気持ち的には楽になったのね。
だけど、やっぱりライブやら何やら結構ありまして、つまり

10月までは激忙しい
11月以降は忙しい

だったことに気付いてしまったのです。

忙しいと分かっているときの忙しさはその中でも時間が作れるけれど、
暇だと思っていたのに忙しいときに時間を作るのは非常な困難を伴います。
感覚とは相対的なものです。
忙しいわけないじゃん、と思ったとき忙しいだなんて、
どうやってどこで時間を作ればいいのかわからない。そんな僕はブログを1カ月放置しましたごめんなさい。


でもね、忙しいながらもプライベートも充実しておりました。
映画を3、4本見ました。(雑
よく遊んでるゲームの友達たちとの忘年会にも行きました。
とても楽しかったです。

どんな映画を見たかといえば、
「ベイビードライバー」
「ブレードランナー2049」
「ゲットアウト」
「エンドレスポエトリー」
の4本です。3、4本と書きましたが明確に4本でしたねお詫びして修正いたします。

かいつまんで言えば、
「ベイビードライバー」は、いろいろなジャンルの歌をリップシンク(歌に合わせて口を動かして歌ってるように見せる芸)で多用しつつ、音楽の中に人の立てる音や物音をリズミカルに使いつつ、さらにそれをアクション犯罪映画に仕上げた大変素晴らしい映画でした。
「ブレードランナー2049」はみなさん感想がいろいろあるとは思うのですが、僕は無でした。良いとも悪いとも楽しいとも退屈だとも思わなかった3時間。僕はもしかしたらオリジナルの「ブレードランナー」好きだと思っていたのですが、
違ったのかもしれない。でも見なければずっと見なきゃな、と思ったであろうことを考えれば良き3時間でした。
「ゲットアウト」は、彼女の家族の家へ行った彼氏が巻き込まれるコメディ仕立てのホラー映画。おっそろしく完璧な映画でした。今年見た映画で一番よかったかもしれない。ほとんど何も起きないままただただ続く違和感が最後に解消されていくすさまじさ、これが初監督作品だとは思えない。2THUMBS UP!(NEW YORK TIMES風)
「エンドレスポエトリー」は、ホドロフスキー監督の自伝的映画の第二弾。前作「リアリティのダンス」は監督の幼少期、主に父親のことが描かれておりましたが、本作では本人の青年時代がデフォルメされたマジックリアリズムの世界が圧倒的に美しくて、色弱の僕は本当に色が見えたら素敵な映画なんだろうんな、と思いつつも、詩人を志す主人公、そして彼がぼんやりと所属するぼんやりとした(本物かどうか疑わしい)芸術家グループの不確かさ、そんなものが何か自分に跳ね返ってくるようで、大変ためになる映画でした。



さてさてさてさて。
一年には年中行事というものがございますね。読んで字のごとく、年の中でやる行事。
初夏にはアユを食べ、真夏にはナスに割りばしを刺し、そしてクリスマスにはイルミネーションを見てわー綺麗と思ってなくても言ってみたり、そういうこういう時期にこういうことをする、というのが年中行事ですね。
そういう社会的なこともあるのですが、僕にはいくつか自分の決まりごとがあります。別に決めたわけではなく、なんとなくそうなっていたのですが、毎年1月にはカフカの「変身」を読む。そして、毎年12月にはエミリ・ブロンテの「嵐が丘」を読みます。
いつから始まったのか覚えてないのですが、確か中学2年生のころ、友達と歩いていてなんとなく入った古本屋で買った「嵐が丘」を読んだあの12月が最初だったと思います。そしてそれから毎年冬になると読み返してしまう「嵐が丘」

そして、これだけは言っておきたい。
僕は決して「嵐が丘」が好きではありません!

にもかかわらず、毎年読んで早20数回。何度読んでも全くもって分かりません。
大体、名前同じ人が多すぎて、比較的少人数の閉鎖コミュニティでの話にも関わらず、登場人物のほぼすべての人が性格がおかしくて暴力的で精神錯乱を起こしていて発言も矛盾だらけで、すぐ死ぬだの殺すだの言って大変なのです。
ヒースクリフという何だか出生も何も分からない荒くれ者を中心に起こる愛憎劇なんですが、
一貫性の無い性格、支離滅裂な会話、矛盾だらけの行動、これが作者の意図したものだとしたら、こんな人物を作り出すその技量に脱帽です。もしも作者がただただ支離滅裂な人だとしても、こんな化け物のような小説を書いたのならばそれでいいです。
でも、もう一度言います。僕は別に「嵐が丘」が好きではありません。

なぜ好きではないのでしょうか。と、その前に、好きではないと言うこと、とは一体何なのでしょう。
好きではない、と言えるということは、ある程度その作品に対して評価を与える土俵にはのっている、ということです。
つまり、何とも思わない、気にもならない、というものではないということです。
そういう意味では、評価するに値するもの、と言っている時点でそれは、一種の「好き」なのだと思います。
なので、一義的な意味では「嵐が丘」を僕は好きな訳です。
だがしかし、それにも関わらず明確に「好きではない」と言えるということは、僕は僕なりに「嵐が丘」を理解しているということなのではないでしょうかどうでしょうかみなさん。

さて、話はといえば、辺鄙な村からも離れたところにある二つの家とそこにある日現れた出生不明のヒースクリフとの間に起こる二代にわたる愛憎劇です。
キャサリンさんがおりまして、その人がいなくなりまして、違うキャサリンさんが出てきたりですね、ヒースクリフ(名前)の子供がヒースクリフ(名字)だったり、大変不条理なんです。
でも読んでいると、その名前の同一性も何やら必然に思えてきたり、荒涼とした土地に起こるパーソナルな心模様が、大変実感を伴って僕に迫ってくるのです。

僕は、英語の原書と、日本語訳は、岩波文庫版、新潮文庫の上下巻だった旧版、一冊になった新版の4種類持っているのですが、どれも一長一短、いや、ひとつは完全に誤訳にまみれていてい大変なことになってるように思われるのですが、唐突ですが、「嵐が丘」は、「リア王」「白鯨」と並ぶ英語で書かれた三大悲劇と呼ばれています。これはどうも怪しい情報で、エドマンド・ブランデンという人が1920年頃に日本の大学で教鞭をとっているときに言ったことに端を発しているようです。
横道にそれましたね。
全体的に長く大仰なセリフや細かい描写が多く、どの言葉がどこにかかるのかの判別が難解でなかなか日本語訳が定まらないのはないかと思います。
僕自身、英語で読んでもこれはなんだか手におえない、といった気がします。

さて、そういったことでですね、とにかく個人的な心模様が行き場も無く、近場の人にまき散らされて、そして、登場人物たちが自らどんどん悲劇的になっていくその様子が、僕には理解できない。
理解できない、というか、共感できない、というか、好きではない、というか、こうありたくない、というか、なんというか、そういう感じです。
これは都市では起こり得ない物語です。限られた閉鎖空間であるからこそ起こりえる出来事を扱った小説で、都市好きの僕としては、やっぱりそんなところも趣味じゃないのかな、と思います。

さて、そろそろ「嵐が丘」も後半に入ってまいりました。キャサリンとヒースクリフの物語はひとまず終わり、キャサリン2号とヒースクリフ2号がそろそろ出てきますね。もうこうやって書くとSFなんじゃないかと思われたあなた、違います順文学です。では、読書再開します。


あ。
そういえば、カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞取りましたね。去年の振り切れたボブ・ディランという回答にノーベル委員会も何か反省したのでしょうか、極めて保守的な手法の作家カズオ・イシグロさんになりまして、僕は大好きなので嬉しいです。
「充たされざる者」が一番好きです。



今日もまた大変実の無いブログでしたね。
では良いお年を。


嘘です。今年中にはもう一回くらい何か書きます。





[PR]
by takekiygalmuto | 2017-12-17 18:53 | 日記