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作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

【長いです】文体練習『センセイの鞄』

<別に小説じゃありません。>
川上弘美の「センセイの鞄」を読みました。ので、川上弘美の「センセイの鞄」風に書いてみました。
珈琲のことを書こうとしたのに、意味もなく小説風になってしまいました。
このブログは

大変長い

ので別に読まなくてもいいです。

「センセイの鞄」とは、初老のセンセイと元教え子の(だけれども高校時代にはセンセイの印象は薄かった)ツキコさん(わたし)の、微妙な関係を描いた小説です。



≪珈琲≫


珈琲豆は冷蔵庫に保管している。
飲むときに飲む分だけ、今日はきっかり1.5杯分、丁寧に計って、少し細かめに、挽く。ちょっと多めに飲みたいのだ。
お湯が沸騰するのを待つ間にドリッパーを準備して、フィルターをゆっくりと折り目をつけながら開く。
お湯が沸騰したらホウロウの珈琲ポットに注いで、ほんの少しずつドリッパーの真ん中に垂らしてゆく。
フィルターを濡らさないように。
フィルターが濡れるとお湯はそのまま落ちていってしまう。珈琲を薄めてしまうのだ。
ぽわぽわと音をたてるように珈琲が膨らむ。
焦らないように、じれる気持ちをおさえながらゆっくりとすすむ。
それでも冷めてしまわないように適度に速度をたもつ。
わたしこの匂いがすきなんだ、とぼんやりと考えて、急に会いたくなる。
「センセイ」
考えていただけのはずなのに口に出していっていた。
そんな淹れ方じゃせっかくの珈琲が冷めてしまいますよ、ツキコさん。
センセイにそう言われそうな気がした。
お湯をそそぐことばかりに気をとられていたら、いつの間にかこはく色の液体はきっかり1.5人分首をそろえていて、
あたたかい香りがたちのぼってきて完成した。液体が首をそろえるだなんてなんだか変だなとひとりで笑った。
温めておいた白い珈琲カップにたおやかにそそぐ。たおやかがどんな意味だったのかよくわからないけれど、
そういう気持ちなのだわたしは。

駅から少し離れた住宅地にぽつりとあるフランス菓子屋はどれも絶品で、お菓子の名前なんててんで分からないわたしがメクラメッポウ2、3選んでもいつもハズレがない。存外わたしは目利きなんじゃないかとも思うが、やっぱりあのフランス菓子屋がおいしいのだろう。それともわたしの好みなだけなのだろうか。
今日はガレット・ブルボンヌを食べることにする。こげ茶色でぽってりとした厚みがなんともおいしそうだ。
どうしてもセンセイの顔が思い浮かんでしまう。いけないいけないこんなことなら、お菓子を買った帰りにセンセイの家に寄ればよかった。センセイはわたしよりもおいしく珈琲を淹れそうな顔をしている。それともそんな若者の飲み物は好まないのだろうか。そういえば、いつもお酒ばかり飲んでいて喫茶店なんぞ二人で行ったことがなかった。

さくりと音を立ててガレット・ブルボンヌの甘みが口の中に散らばる。少しかみしめて、それから湯気の立つ珈琲を一口飲んだ。ごくり、と自分でもびっくりするほどのどが鳴った。センセイがそばにいれば、はしたないですよ、ワタクシはそんな飲み方はしません、と言うかもしれない。
「センセイ」
言ってからまた珈琲を飲んだ。やはりごくりとのどが鳴った。
「ツキコさん」
わたしを呼ぶ声が聞こえた。そんなにもわたしはセンセイに会いたいのかと思ったら、窓の外に本当にセンセイがいた。思いは通じるものである。
「いい匂いがここまでしますよ。ワタクシにも一杯馳走にならせていただけませんか」
「はい」
センセイは階段をゆっくりとあがって、わたしに並んで立っていた。I♡NYのマグカップを渡した。
「立っているというのもなんですね」
「なんですか」
「ええ、そういうものです」
わたしはセンセイにもガレット・ブルボンヌを渡した。おいしそうに食べて、しばらくすると
「ツキコさんは珈琲を淹れるのが上手でいらっしゃる」
と言ってひょうひょうと笑った。なんともつかみどころのない人である。

センセイが帰ったあとに、マグカップをふたつ洗った。
センセイがわたしの部屋に来たのは初めてだったことに気づいた。


≪END≫



というわけでですね、本当にどうでもいいのですが、僕は珈琲が大好きなわけです。
それでうちには大体常時、2店の珈琲問屋さんの珈琲豆が2種類ずつあります。
さらに「マズ珈琲」と呼ばれる、別にマズい珈琲ではないのですが、相対的にそういうことになってそう呼ばれている、
こちらはお店で挽いてもらった「マズ珈琲」とエスプレッソ用の三番挽きの粉があります。
で、ですね、今、僕は作曲の締め切りにものすごく追われていて、ライブやリハーサルや稽古や大道芸や本番がないときは、家で曲を書いているわけですが(今、お前はブログを書いているじゃないか、と言わないで)、それはもう大変な量の珈琲を消費していくわけです。一日10杯はくだらないのではないかと思います。
僕は珈琲が好きですね、そうですね。
僕はおいしい珈琲が好きだと思っていました。でもそうじゃないんじゃないかって、昨日寝しなに気づいたんです。
もしかして、
僕は、
珈琲が好きなんじゃないか、と。

つまりですね、珈琲なら何でもいいんじゃないかと。
良い方の珈琲を淹れるには、上記川上弘美さん風の文章の中にあるようにミルで挽いたり色々厄介です。
なので、「マズ」の方を大量に淹れていたんですけど、
これはもしかして、もしかしたら、
まだ見ぬ地平があるのでは。
大体、作曲中なんて珈琲の味なんて考えもせずに、飲んでいるのです。
つまり、
味とか匂いとかそういうことではなくて、珈琲であれば何でもいいのではないか、と。

ということで、本日、人生で初めて、インスタントコーヒーと書かれた瓶を買ってみました。
現在、テーブルの上に置かれています。
マグカップには珈琲が入っています。
味も匂いもあったもんじゃない安心感と習慣のためだけのインスタントコーヒーが。
こんなに素敵なものが世の中にあることを、二十歳の僕に教えてあげたいです。
あなたが好きなのは、おいしい珈琲ではなく、「珈琲」という安心感ですよ、と。


ということで、(どういうことだ)
日常生活を描いた小説を読みたいな、と思って、
未読だった川上弘美さんの「センセイの鞄」を読んだわけです。
何というか、この人の小説を読むのは久しぶりだったんですが、とても危うい。
小説の中に描かれている世界が危ういんではなくて、大変微妙なバランスなんですが、
小説としての完成度が危うい。
けれどもこの不安定で未完な雰囲気がこの人独特の世界を作り出しているのだろうと思います。
でも「センセイの鞄」は、こんな文体を真似ておいてなんですが、本当にこんな大人にはなりたくない、という気持ちを抱えながら読了しました。
すごく理性的でありそうで、ほんの少しだけ庶民よりも社会を達観しているようなセンセイが、一人で夜な夜な居酒屋にいたり、パチンコをしたり、言及はされてないけれど、煙草を吸っていたり、何というか人物像が危うくて、読んでいて、ヒヤヒヤしてしまいました。
ツキコさんも、どんな造形なのか映像的によく分からず、結構な年上のセンセイへの思いが何で芽生えているのか、きっと本人にもよくわからないふわふわした雰囲気でした。
そんな地に足のつかない関係性を、僕はあまり理解できず、登場人物たちへムカついてごめんなさい。
でもムカつくくらいには
大変良い小説なのではないかと思えてきました。

まぁ何で読んだかというと、この間、
長嶋有さんの「三の隣は五号室」を読んで、久しぶりに涙を流しそうになるほど感動したのです。
木造アパートの部屋が主人公で、何十年にも渡り住民たちがいた証を部屋だけが知り、そして、そこにただ痕跡が残っている、という物語。
時系列で住民たちを追うわけではなく、部屋の中で同じような出来事が起きた瞬間だけをまとめて、章ごとにわかれています。
と、思っていたら束の間、突然、最後の方で緩やかに繋がる挿話の数々。全くもうなんだこれは。感動したよおい。

あまりにも感動してしまいまして、谷崎潤一郎賞を取っているやつ取っているやつ、と思って、「センセイの鞄」を読んだのでした。

でも僕が読みたかったのはそっちじゃなかった。
集合住宅小説が読みたかったのだ、と思いました。
今読みたかったのは
センセイとツキコさんのように無いかもしれないところに「ある」を探す小説ではなくて、
関係性の無いかもしれない人びとが無いままでいい小説を読みたかったのだと気づいてしまいましたので、
これはもう、
柴崎友香さんの「パノララ」と「千の扉」を明日買いに行こうと思います。

先日、柴崎さんのトークショーを見たのです。「わたしたちの家」という映画の後に。
映画も大変良かったですが、柴崎さんがおっしゃっていた「千の扉」は、あるかもしれないし無いかもしれないどっちでもいい関係が描かれている小説だと言っていたのがとても印象的でした。


大変長い、そして意味のないブログでしたね。

これさ、インスタとかで
「インスタントコーヒー買ったよ!」
とかって瓶を持って写真アップするだけでよかったんじゃね?



さて。
作曲しなきゃ…


読んでくれた方、お疲れさまでした。


by takekiygalmuto | 2018-02-11 00:41 | 日記