作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

カテゴリ:日記( 653 )

<別に小説じゃありません。>
川上弘美の「センセイの鞄」を読みました。ので、川上弘美の「センセイの鞄」風に書いてみました。
珈琲のことを書こうとしたのに、意味もなく小説風になってしまいました。
このブログは

大変長い

ので別に読まなくてもいいです。

「センセイの鞄」とは、初老のセンセイと元教え子の(だけれども高校時代にはセンセイの印象は薄かった)ツキコさん(わたし)の、微妙な関係を描いた小説です。



≪珈琲≫


珈琲豆は冷蔵庫に保管している。
飲むときに飲む分だけ、今日はきっかり1.5杯分、丁寧に計って、少し細かめに、挽く。ちょっと多めに飲みたいのだ。
お湯が沸騰するのを待つ間にドリッパーを準備して、フィルターをゆっくりと折り目をつけながら開く。
お湯が沸騰したらホウロウの珈琲ポットに注いで、ほんの少しずつドリッパーの真ん中に垂らしてゆく。
フィルターを濡らさないように。
フィルターが濡れるとお湯はそのまま落ちていってしまう。珈琲を薄めてしまうのだ。
ぽわぽわと音をたてるように珈琲が膨らむ。
焦らないように、じれる気持ちをおさえながらゆっくりとすすむ。
それでも冷めてしまわないように適度に速度をたもつ。
わたしこの匂いがすきなんだ、とぼんやりと考えて、急に会いたくなる。
「センセイ」
考えていただけのはずなのに口に出していっていた。
そんな淹れ方じゃせっかくの珈琲が冷めてしまいますよ、ツキコさん。
センセイにそう言われそうな気がした。
お湯をそそぐことばかりに気をとられていたら、いつの間にかこはく色の液体はきっかり1.5人分首をそろえていて、
あたたかい香りがたちのぼってきて完成した。液体が首をそろえるだなんてなんだか変だなとひとりで笑った。
温めておいた白い珈琲カップにたおやかにそそぐ。たおやかがどんな意味だったのかよくわからないけれど、
そういう気持ちなのだわたしは。

駅から少し離れた住宅地にぽつりとあるフランス菓子屋はどれも絶品で、お菓子の名前なんててんで分からないわたしがメクラメッポウ2、3選んでもいつもハズレがない。存外わたしは目利きなんじゃないかとも思うが、やっぱりあのフランス菓子屋がおいしいのだろう。それともわたしの好みなだけなのだろうか。
今日はガレット・ブルボンヌを食べることにする。こげ茶色でぽってりとした厚みがなんともおいしそうだ。
どうしてもセンセイの顔が思い浮かんでしまう。いけないいけないこんなことなら、お菓子を買った帰りにセンセイの家に寄ればよかった。センセイはわたしよりもおいしく珈琲を淹れそうな顔をしている。それともそんな若者の飲み物は好まないのだろうか。そういえば、いつもお酒ばかり飲んでいて喫茶店なんぞ二人で行ったことがなかった。

さくりと音を立ててガレット・ブルボンヌの甘みが口の中に散らばる。少しかみしめて、それから湯気の立つ珈琲を一口飲んだ。ごくり、と自分でもびっくりするほどのどが鳴った。センセイがそばにいれば、はしたないですよ、ワタクシはそんな飲み方はしません、と言うかもしれない。
「センセイ」
言ってからまた珈琲を飲んだ。やはりごくりとのどが鳴った。
「ツキコさん」
わたしを呼ぶ声が聞こえた。そんなにもわたしはセンセイに会いたいのかと思ったら、窓の外に本当にセンセイがいた。思いは通じるものである。
「いい匂いがここまでしますよ。ワタクシにも一杯馳走にならせていただけませんか」
「はい」
センセイは階段をゆっくりとあがって、わたしに並んで立っていた。I♡NYのマグカップを渡した。
「立っているというのもなんですね」
「なんですか」
「ええ、そういうものです」
わたしはセンセイにもガレット・ブルボンヌを渡した。おいしそうに食べて、しばらくすると
「ツキコさんは珈琲を淹れるのが上手でいらっしゃる」
と言ってひょうひょうと笑った。なんともつかみどころのない人である。

センセイが帰ったあとに、マグカップをふたつ洗った。
センセイがわたしの部屋に来たのは初めてだったことに気づいた。


≪END≫



というわけでですね、本当にどうでもいいのですが、僕は珈琲が大好きなわけです。
それでうちには大体常時、2店の珈琲問屋さんの珈琲豆が2種類ずつあります。
さらに「マズ珈琲」と呼ばれる、別にマズい珈琲ではないのですが、相対的にそういうことになってそう呼ばれている、
こちらはお店で挽いてもらった「マズ珈琲」とエスプレッソ用の三番挽きの粉があります。
で、ですね、今、僕は作曲の締め切りにものすごく追われていて、ライブやリハーサルや稽古や大道芸や本番がないときは、家で曲を書いているわけですが(今、お前はブログを書いているじゃないか、と言わないで)、それはもう大変な量の珈琲を消費していくわけです。一日10杯はくだらないのではないかと思います。
僕は珈琲が好きですね、そうですね。
僕はおいしい珈琲が好きだと思っていました。でもそうじゃないんじゃないかって、昨日寝しなに気づいたんです。
もしかして、
僕は、
珈琲が好きなんじゃないか、と。

つまりですね、珈琲なら何でもいいんじゃないかと。
良い方の珈琲を淹れるには、上記川上弘美さん風の文章の中にあるようにミルで挽いたり色々厄介です。
なので、「マズ」の方を大量に淹れていたんですけど、
これはもしかして、もしかしたら、
まだ見ぬ地平があるのでは。
大体、作曲中なんて珈琲の味なんて考えもせずに、飲んでいるのです。
つまり、
味とか匂いとかそういうことではなくて、珈琲であれば何でもいいのではないか、と。

ということで、本日、人生で初めて、インスタントコーヒーと書かれた瓶を買ってみました。
現在、テーブルの上に置かれています。
マグカップには珈琲が入っています。
味も匂いもあったもんじゃない安心感と習慣のためだけのインスタントコーヒーが。
こんなに素敵なものが世の中にあることを、二十歳の僕に教えてあげたいです。
あなたが好きなのは、おいしい珈琲ではなく、「珈琲」という安心感ですよ、と。


ということで、(どういうことだ)
日常生活を描いた小説を読みたいな、と思って、
未読だった川上弘美さんの「センセイの鞄」を読んだわけです。
何というか、この人の小説を読むのは久しぶりだったんですが、とても危うい。
小説の中に描かれている世界が危ういんではなくて、大変微妙なバランスなんですが、
小説としての完成度が危うい。
けれどもこの不安定で未完な雰囲気がこの人独特の世界を作り出しているのだろうと思います。
でも「センセイの鞄」は、こんな文体を真似ておいてなんですが、本当にこんな大人にはなりたくない、という気持ちを抱えながら読了しました。
すごく理性的でありそうで、ほんの少しだけ庶民よりも社会を達観しているようなセンセイが、一人で夜な夜な居酒屋にいたり、パチンコをしたり、言及はされてないけれど、煙草を吸っていたり、何というか人物像が危うくて、読んでいて、ヒヤヒヤしてしまいました。
ツキコさんも、どんな造形なのか映像的によく分からず、結構な年上のセンセイへの思いが何で芽生えているのか、きっと本人にもよくわからないふわふわした雰囲気でした。
そんな地に足のつかない関係性を、僕はあまり理解できず、登場人物たちへムカついてごめんなさい。
でもムカつくくらいには
大変良い小説なのではないかと思えてきました。

まぁ何で読んだかというと、この間、
長嶋有さんの「三の隣は五号室」を読んで、久しぶりに涙を流しそうになるほど感動したのです。
木造アパートの部屋が主人公で、何十年にも渡り住民たちがいた証を部屋だけが知り、そして、そこにただ痕跡が残っている、という物語。
時系列で住民たちを追うわけではなく、部屋の中で同じような出来事が起きた瞬間だけをまとめて、章ごとにわかれています。
と、思っていたら束の間、突然、最後の方で緩やかに繋がる挿話の数々。全くもうなんだこれは。感動したよおい。

あまりにも感動してしまいまして、谷崎潤一郎賞を取っているやつ取っているやつ、と思って、「センセイの鞄」を読んだのでした。

でも僕が読みたかったのはそっちじゃなかった。
集合住宅小説が読みたかったのだ、と思いました。
今読みたかったのは
センセイとツキコさんのように無いかもしれないところに「ある」を探す小説ではなくて、
関係性の無いかもしれない人びとが無いままでいい小説を読みたかったのだと気づいてしまいましたので、
これはもう、
柴崎友香さんの「パノララ」と「千の扉」を明日買いに行こうと思います。

先日、柴崎さんのトークショーを見たのです。「わたしたちの家」という映画の後に。
映画も大変良かったですが、柴崎さんがおっしゃっていた「千の扉」は、あるかもしれないし無いかもしれないどっちでもいい関係が描かれている小説だと言っていたのがとても印象的でした。


大変長い、そして意味のないブログでしたね。

これさ、インスタとかで
「インスタントコーヒー買ったよ!」
とかって瓶を持って写真アップするだけでよかったんじゃね?



さて。
作曲しなきゃ…


読んでくれた方、お疲れさまでした。


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by takekiygalmuto | 2018-02-11 00:41 | 日記

最近の読書

告知がすんなりできました。
ぜひとも来てくださいね、横浜に!


さて、年末年始ですが、何故か僕は、
涼宮ハルヒシリーズを読みまくり、
さらにスティーブン・キングがリチャード・バックマン名義で発表した小説を読み漁り、
遅れてきた中二病みたいな、俺読書好きなんだって言ってるのにちょっと残念な人のレッテルが貼られそうな、
読書セレクションでお送りしていたのですが、食傷気味になってきて、もう少し違う種類の本を読もうと決めました。
もちろん、涼宮ハルヒシリーズは最高潮に面白く、
キングも「死のデッドウォーク」だとか、それはもうワンアイデアで最後まで押し切れる物語の構築力に感嘆極まれり、という感じだったのですが、
両方とも非現実的な世界を前提としたフィクショナルなフィクションで、
なぜだか突然、何だか普通の世界設定の小説が読みたい!という気持ちになりました。

ということで本を探しました。
家にある本で買ったのに読んでいなかったものの中に何かあるのではないか…と。

ええ、そんな儚い希望も潰えて、僕の本棚にはほとんどそういう普通の物語がなかったんですね。
これはもう普通の小説を調べてみよう、と思ったんですが、
「普通の小説」なんて調べてもそりゃもう検索できるわけもなく、
僕の知識を総動員した結果、Amazon先生に発注をかけました。
現代の日本の作家で、ちゃんと読んでいない人たちの純文学を何冊か。
そろそろ届くんじゃないかな。

届くまでどうしようか悩んだ末、とりあえず純文学ならばそれなりのアレですよねという期待を込めて、
ノーベル賞を取りましたカズオ・イシグロの「忘れられた巨人」を読みました。
僕は本当にもうカズオ・イシグロの「充たされざる者」が大好きで、ヌーヴォーロマンの文脈にのるような、そして、音楽を扱った小説では最高峰ではないかと勝手に思っているので、この一作だけでも価値のある作家なのですが、
「充たされざる者」を何度も読んで、その都度僕は充たされてしまいますごめんなさい。

「わたしを離さないで」もいいんですが、そこまで僕の好みではなかったので「忘れられた巨人」を買ったまま放置しておりました。あらすじも設定もしらないままとにかく読み始めました。

あらやだ素敵。
中世らしきイギリスが舞台。だけれども設定はファンタジック。
いきなりよくわからん穴ぼこに人々が暮らす村があり、そこにぼんやりした老夫婦がおります。
どうも、ぼんやりしながら、息子に会いに旅に出るらしい。でも息子がどこにいるのかは、なんとなくぼんやーりとしかわからない。でもとりあえず行ってみようかねえお嬢様(老夫婦の夫は妻をお嬢様と呼んでいるのです)、ってな感じでスタートします。

記憶やら過去やらが
非常に曖昧でぼやけた記憶となって、何かしら霧に包まれた感覚だけがある。そんなにも不確かな記憶と共に、
どこにいるのかも明確にはわからない息子に会いに行く旅。
それはもう、いきなりときめくにきまってます。

さらには遍歴の騎士が登場して、アーサー王に仕えていたらしい老騎士やら、陰のある少年が登場したり、
竜が出てきたり、
もうどんだけファンタジックなのよ!と思いながらどんどん読んでしまいました。

ええ、日常を舞台にした小説が読みたかったのに、全く違いましたね。
完全にファンタジックな物語でした。

だがしかし、そこはカズオ(敬称略
物語の主眼は旅でもなければ竜でもなく、それはもう記憶と過去。
忘れるということ。忘却とは一体何もので、忘れてはいけないことは本当に忘れてはいけないことなのか、
忘れることで突き進む何かがあるのではないか、というような大変複雑な問題を描いておりました。
それにも関わらず表面に現れるファンタジックな騎士道物語は停滞せずに、ちゃんと物語として進んでいく。
同時に呼応するように、物語の底辺にずっと流れ続ける忘却。
大変美しく、素晴らしい小説でした。

イーガルメーター
★★★★☆

星4つ。


ですが、僕が読みたかったのは日常生活的なやつ。
そろそろ届くかな、川上弘美の本。
ていうか、そろそろ届いても川上弘美そういえば別に日常の何となくの物語の人じゃなかった。
蛇踏んでたし、くまと散歩してたりしてたわ。どうしよう、まあいいか。

ここで僕は気づいたね。日常を追い求めてもダメなんじゃないかって。
そこで音楽小説を読もうと思いました。

去年恩田陸の「蜜蜂と遠雷」を読んで、クラシックのコンクールの様子、よく取材したんだなぁ、と感心しました。
そして、音楽小説というとよく出てくるのが中山七里の「さよならドビュッシー」
ミステリだったり、題名が何だかなぁ、と思ったりして読んでいなかったんですが、これまた持ってはいたので
読んでみました。

ひーーーー!

ナニコレ。

音楽描写が細かくて、何ていうんだろう、専門家じゃないとそこに目がいかないだろうというような描写がたくさんありました。「蜜蜂と遠雷」は取材で分かる範囲の知識というか、丹念に調べたんだろうな、というような破綻のなさでしたが、
「さよならドビュッシー」は、もっと音楽家の持つ感覚とか、ピアニストじゃないと気にかけないような些末な描写に満ちていて、大変面白かったです。
ちょっとコンクールで弾く曲がそれかよ、というような部分もありましたが、驚きました。
なんというんだろう、ピアニストの皮膚感覚を知っている人なのかしら。でもネットで調べたら作家本人は音楽はやっていないそうで、何でこんなこと書けるんだろうと不思議でなりません。
音楽の知識ではなく、感覚は人から聞いてわかるものじゃないような気がするし、人によっては同意できないようなことを恐れずに断言しているように思われました。
でもね、これミステリなんですよね。
もうさ、こんだけ書けるんだからミステリ要素いらなくね? みたいな気持ちになりながら読みました。
でも、ミステリとしても面白かったです。が、それ以上にピアノの演奏やコンクールを受ける気持ちの作り方とか、
そういう部分が大変好みでした。

ちなみに主役の子は、最初のほうで火事にあってそりゃもう黒焦げで皮膚移植して人造人間みたいになってます。
設定おかしいだろ。ところがどっこい、素敵な小説でした。

イーガルメーター
★★★☆☆

星3つ。




さて、郵便ポストを見たところ、届いておりました。僕の注文した小説。
川上弘美「大きな鳥にさらわれないよう」
長嶋有「三の隣は五号室」


いざ。
取り戻せ日常。



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by takekiygalmuto | 2018-02-02 16:45 | 日記
今年もあけましておめでとうございます。
ええ、なんというんでしょうか、ちょっと遅めですけど、
去年の総括をしてみたいと思います。

去年の目標は、週一回ブログを更新することでした。
はい、できませんでした。
残念です。

でも大体、月1回以上の更新はできたので、自分をほめてあげたいです。



今年もいろいろとよろしくお願いいたします。

決まっている予定等もたくさんあるので事あるごとに告知できるよう頑張ります。



イーガル

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by takekiygalmuto | 2018-01-24 17:57 | 日記

タイムシフトとは何か。

こんにちは、年の瀬ですね。
昨日くらいにブログを書いたのにまた書いています。
ちょっとですね、今年書いたブログを読み返してみたんですが、
9月頃にタイムパラドクス問題のことを書きます、とか書いておきながら、書いてないことに気がついたんです。
はて、一体なんのことだったのだろう、と思いながら昨日の夜NHKでやっていた番組をタイムシフトで見ていたんですね。

僕は気付きました。あぁ、これか!
そうか、このことだったのか!

あのですね、7月末頃だったでしょうか、新しいテレビを買ったのです。
これがタイムシフト機能というものがついておりまして、
6チャンネル分、過去3日だか4日だかさかのぼって見ることができるんです。
僕のうちの場合は、その6チャンネル分を決めるのになかなかてこずったのですが、
まず、NHKとEテレ、MXTVはすんなり決まりました。あとは、安定のニッチなテレ東は決定。
テレ朝は徹子の部屋ですとか、その頃ですとやすらぎの郷をやっていたし、タモリ倶楽部なんかもありますから、決定ですね。
残り1枠を争う日テレ、TBS、フジ。
これはもうどれだって別にいいですし、大して見ないですし、一応日テレになっております。

で、ですね、これを言われても体験しなければなんのこっちゃという感じだとは思うんですけど、
ものすごいんです。
テレビをつけても昼過ぎには何が何やら大相撲の話ばかりしている昨今も、今日の朝やっていたニュースなんかを画質の劣化もなく見れてしまうのです。
挙句の果てには、一度タイムシフトをした番組を見ていて、その番組が終わるとタイムシフトしたまま次の番組に進むのです。
あと、思いがけなかったことに、録画するほどのこともないけどちょっと見ようかなと思っていた番組とかが簡単に見れてしまいます。それから友達が出演していた、とあとから教えられた番組なんかも見れちゃいます。

たとえばですよ、昼ごろ起きました。
テレビをつけてタイムシフトで朝7時のNHKニュースを見始めました。
もうこれは、確実に朝7時ですよ奥さん。
テレビの左上に表示されたあの時刻、あれこそが本物の時間というものです。
心も体も、いや、世界すらこれはもう朝7時なのです。
今日はなーんか早起きしちゃったなぁ、まだまだ午前中にいろいろできるじゃないか、と大変優雅な心持になるのですが、本当は14時ごろになっていたりしても、心は午前9時のまま。

一体、時間とは何なのでしょう。

ここで思い出されるのが、先日もブログに書いた「嵐が丘」の家政婦ネリーの名言です。
もう20回以上読んだというのに、内容よりも何よりもネリーの言ったことが大変心に強く残っております。
言い回しは覚えてないのですが、ネリーが何かの拍子に言いました。

「午前中に一日にやるべきことの大半のことをしないような人は一日あっても何もできない」

的な。
ちょっと違うような気がするけど、要は午前中にせっせとやることやんなきゃダメだぜ、おい、というようなことです。
ドラマツルギーに溢れた「嵐が丘」の中で何でこのセリフだけが印象的だったのか謎ですがそんなことです。

でも、家政婦ネリーはタイムシフトのことを知りません。
大体、電化製品なんて無い時代の物語なのでテレビなんて無い訳ですが、
もうね、体感してごらんよ、タイムシフト。
テレビに慣れた僕には、無意識のうちにこの番組をやっていたらこの時間、というような感覚があるわけで、
それはテレビを持っている人が大抵持つ感覚だと思うのです。
やっぱり、間違っちゃうんですよね、時間を。
うっかりですよ、2時間前くらいの番組をタイムシフトで見始めて、うっかり寝ちゃって起きてみたら、
タイムシフトしたことを忘れていて、あぁ、ちょっと昼寝しちゃったな、まだまだ時間に余裕があるぜベイベ、とか思ってごらんなさいよ。もうそれは時間の流れから漂流した時の旅人。あなたは早く本来の時間を取り戻さねばならない。エンデも「モモ」ですか。そうですね。

そして色々考えた結果、タイムシフト中には、本来の時間を誤解しているのではなく、タイムシフトされた時間の中に我々はいるのではないか。
タイムシフトこそが真の時間なのではないか、と考え始めたわけです。
過去にさかのぼってやっている生放送。これは大変な不条理です。
野球やらサッカーやらやっているわけですよ。結果を知った上で見る生放送。
もう何が何やら分からない。どっちが勝ったのか僕は知っているけれども、解説者も誰も結果をしらないリアルタイムなわけです。
僕は未来人ですね。未来からやってきた旅人。やはり、タイムシフトされた番組を見ている僕は、その番組の時間軸の中に未来からやってきた、その時点での「今」にいるのです。

さて、そんな中、大変なことに気付いてしまいました。
終戦記念日です。8月です。
その日は午前中から用事があり、黙とう等出来ずにいたのですが、もしやと思いました。
23時頃でしょうか、毎年テレビで終戦記念日の黙とうをやっているでしょう。あれをタイムシフトで見たんです。
正午からの1分間の黙とう。
タイムシフトでしました。
なぜだか、ちゃんとやりきった感がございました。
本当は違う時間にも関わらず、そんな気持ちになってしまう。
これは、大変な罠だ。
時間泥棒だ。
僕は極力タイムシフトの罠にかからないように気をつけているんですが、
やはりそれ以降もひっかかるタイムシフトの罠。

気をつけつつ、本日もタイムシフトしたことを忘れて、現在僕は昨日の深夜0時頃をさまよっております。


今年も終わりに近づきましたが、来年は1月2日くらいにタイムシフトでゆく年くる年を見ようと思います。
48時間ほど遅れて新年を、世界中のだれよりも遅く迎えるという偉業を達成しようと思っております。


さて。
今年は主な活動としてはセクシー大サーカスと遊侠サーカスでの大道芸を残すのみとなっております。
みなさん、よろしくお願いいたします。


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by takekiygalmuto | 2017-12-19 14:41 | 日記

年中行事・嵐が丘

こんばんわ、いつの間にか冬ですね。毎年心構えをする前に冬がやってきていて、あとから気づくのはなんででしょう。

前のブログからまたしても一カ月経過しております。どうしてなのか。
これには深い訳がありまして、
今年の僕は10月末までものすごく忙しかったのです。あたかも働き蜂のごとく、仕事をせっせとしていた訳です。
それが!11月以降はそんな忙しさも終わり、年末まで比較的暇だと思っておりました。

ところがね、11月以降も大して暇になってないことに気付いてしまったのです。
10月までは何かしらクリエーションを抱えていて、同時にいくつかの仕事を進めていくことが多かったので、
それが終わって気持ち的には楽になったのね。
だけど、やっぱりライブやら何やら結構ありまして、つまり

10月までは激忙しい
11月以降は忙しい

だったことに気付いてしまったのです。

忙しいと分かっているときの忙しさはその中でも時間が作れるけれど、
暇だと思っていたのに忙しいときに時間を作るのは非常な困難を伴います。
感覚とは相対的なものです。
忙しいわけないじゃん、と思ったとき忙しいだなんて、
どうやってどこで時間を作ればいいのかわからない。そんな僕はブログを1カ月放置しましたごめんなさい。


でもね、忙しいながらもプライベートも充実しておりました。
映画を3、4本見ました。(雑
よく遊んでるゲームの友達たちとの忘年会にも行きました。
とても楽しかったです。

どんな映画を見たかといえば、
「ベイビードライバー」
「ブレードランナー2049」
「ゲットアウト」
「エンドレスポエトリー」
の4本です。3、4本と書きましたが明確に4本でしたねお詫びして修正いたします。

かいつまんで言えば、
「ベイビードライバー」は、いろいろなジャンルの歌をリップシンク(歌に合わせて口を動かして歌ってるように見せる芸)で多用しつつ、音楽の中に人の立てる音や物音をリズミカルに使いつつ、さらにそれをアクション犯罪映画に仕上げた大変素晴らしい映画でした。
「ブレードランナー2049」はみなさん感想がいろいろあるとは思うのですが、僕は無でした。良いとも悪いとも楽しいとも退屈だとも思わなかった3時間。僕はもしかしたらオリジナルの「ブレードランナー」好きだと思っていたのですが、
違ったのかもしれない。でも見なければずっと見なきゃな、と思ったであろうことを考えれば良き3時間でした。
「ゲットアウト」は、彼女の家族の家へ行った彼氏が巻き込まれるコメディ仕立てのホラー映画。おっそろしく完璧な映画でした。今年見た映画で一番よかったかもしれない。ほとんど何も起きないままただただ続く違和感が最後に解消されていくすさまじさ、これが初監督作品だとは思えない。2THUMBS UP!(NEW YORK TIMES風)
「エンドレスポエトリー」は、ホドロフスキー監督の自伝的映画の第二弾。前作「リアリティのダンス」は監督の幼少期、主に父親のことが描かれておりましたが、本作では本人の青年時代がデフォルメされたマジックリアリズムの世界が圧倒的に美しくて、色弱の僕は本当に色が見えたら素敵な映画なんだろうんな、と思いつつも、詩人を志す主人公、そして彼がぼんやりと所属するぼんやりとした(本物かどうか疑わしい)芸術家グループの不確かさ、そんなものが何か自分に跳ね返ってくるようで、大変ためになる映画でした。



さてさてさてさて。
一年には年中行事というものがございますね。読んで字のごとく、年の中でやる行事。
初夏にはアユを食べ、真夏にはナスに割りばしを刺し、そしてクリスマスにはイルミネーションを見てわー綺麗と思ってなくても言ってみたり、そういうこういう時期にこういうことをする、というのが年中行事ですね。
そういう社会的なこともあるのですが、僕にはいくつか自分の決まりごとがあります。別に決めたわけではなく、なんとなくそうなっていたのですが、毎年1月にはカフカの「変身」を読む。そして、毎年12月にはエミリ・ブロンテの「嵐が丘」を読みます。
いつから始まったのか覚えてないのですが、確か中学2年生のころ、友達と歩いていてなんとなく入った古本屋で買った「嵐が丘」を読んだあの12月が最初だったと思います。そしてそれから毎年冬になると読み返してしまう「嵐が丘」

そして、これだけは言っておきたい。
僕は決して「嵐が丘」が好きではありません!

にもかかわらず、毎年読んで早20数回。何度読んでも全くもって分かりません。
大体、名前同じ人が多すぎて、比較的少人数の閉鎖コミュニティでの話にも関わらず、登場人物のほぼすべての人が性格がおかしくて暴力的で精神錯乱を起こしていて発言も矛盾だらけで、すぐ死ぬだの殺すだの言って大変なのです。
ヒースクリフという何だか出生も何も分からない荒くれ者を中心に起こる愛憎劇なんですが、
一貫性の無い性格、支離滅裂な会話、矛盾だらけの行動、これが作者の意図したものだとしたら、こんな人物を作り出すその技量に脱帽です。もしも作者がただただ支離滅裂な人だとしても、こんな化け物のような小説を書いたのならばそれでいいです。
でも、もう一度言います。僕は別に「嵐が丘」が好きではありません。

なぜ好きではないのでしょうか。と、その前に、好きではないと言うこと、とは一体何なのでしょう。
好きではない、と言えるということは、ある程度その作品に対して評価を与える土俵にはのっている、ということです。
つまり、何とも思わない、気にもならない、というものではないということです。
そういう意味では、評価するに値するもの、と言っている時点でそれは、一種の「好き」なのだと思います。
なので、一義的な意味では「嵐が丘」を僕は好きな訳です。
だがしかし、それにも関わらず明確に「好きではない」と言えるということは、僕は僕なりに「嵐が丘」を理解しているということなのではないでしょうかどうでしょうかみなさん。

さて、話はといえば、辺鄙な村からも離れたところにある二つの家とそこにある日現れた出生不明のヒースクリフとの間に起こる二代にわたる愛憎劇です。
キャサリンさんがおりまして、その人がいなくなりまして、違うキャサリンさんが出てきたりですね、ヒースクリフ(名前)の子供がヒースクリフ(名字)だったり、大変不条理なんです。
でも読んでいると、その名前の同一性も何やら必然に思えてきたり、荒涼とした土地に起こるパーソナルな心模様が、大変実感を伴って僕に迫ってくるのです。

僕は、英語の原書と、日本語訳は、岩波文庫版、新潮文庫の上下巻だった旧版、一冊になった新版の4種類持っているのですが、どれも一長一短、いや、ひとつは完全に誤訳にまみれていてい大変なことになってるように思われるのですが、唐突ですが、「嵐が丘」は、「リア王」「白鯨」と並ぶ英語で書かれた三大悲劇と呼ばれています。これはどうも怪しい情報で、エドマンド・ブランデンという人が1920年頃に日本の大学で教鞭をとっているときに言ったことに端を発しているようです。
横道にそれましたね。
全体的に長く大仰なセリフや細かい描写が多く、どの言葉がどこにかかるのかの判別が難解でなかなか日本語訳が定まらないのはないかと思います。
僕自身、英語で読んでもこれはなんだか手におえない、といった気がします。

さて、そういったことでですね、とにかく個人的な心模様が行き場も無く、近場の人にまき散らされて、そして、登場人物たちが自らどんどん悲劇的になっていくその様子が、僕には理解できない。
理解できない、というか、共感できない、というか、好きではない、というか、こうありたくない、というか、なんというか、そういう感じです。
これは都市では起こり得ない物語です。限られた閉鎖空間であるからこそ起こりえる出来事を扱った小説で、都市好きの僕としては、やっぱりそんなところも趣味じゃないのかな、と思います。

さて、そろそろ「嵐が丘」も後半に入ってまいりました。キャサリンとヒースクリフの物語はひとまず終わり、キャサリン2号とヒースクリフ2号がそろそろ出てきますね。もうこうやって書くとSFなんじゃないかと思われたあなた、違います順文学です。では、読書再開します。


あ。
そういえば、カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞取りましたね。去年の振り切れたボブ・ディランという回答にノーベル委員会も何か反省したのでしょうか、極めて保守的な手法の作家カズオ・イシグロさんになりまして、僕は大好きなので嬉しいです。
「充たされざる者」が一番好きです。



今日もまた大変実の無いブログでしたね。
では良いお年を。


嘘です。今年中にはもう一回くらい何か書きます。





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by takekiygalmuto | 2017-12-17 18:53 | 日記

サーカスを終えて。

なかやま幻影ウェディング、祝祭のサーカスがやってきた!


ふたつのサーカスは、同じ出演者と演出家で作ったものだったにも関わらず全く違う作品になりました。

僕はウサギさんでした。こんな感じ。
c0077204_19092411.jpg

爆音の中、拡声器を片手に走り回ってました。
なかやまは、普段はただの駐車場。
そこに突然サーカスが現れて、人力メリーゴーランドが現れて、それはもう本当に夢のような世界でした。

僕はレイ・ブラッドベリの「何かが道をやってくる」というファンタジー小説が子供の頃からすごく好きで、
突然不思議な楽隊がやってきて、サーカスがはじまって、そして過去と現在が交錯する悪夢のような物語です。

サーカスの魅力って、終わったあとに何も残らないっていうところじゃないかと思ってます。
あんなに華やかだったのに、次の日にはサーカスの痕跡も無く、ただの駐車場に戻っている。本当にサーカスは来たのかな、自分が見たものは幻だったのかな、と思うこと、そこに魅力を感じます。

1夜限りの出来事が、不可逆的に過ぎ去ってゆく。
楽しかった時間はもう戻らない。
その一瞬の美しさが移動式サーカスにはあるように思います。

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炎がボーッ!


京都での「祝祭のサーカスがやってきた!」も
その場所でしかできないことを作り上げて、やっぱり次の日には無くなっている。
サーカスは夢が詰まっていると思います。
消えてしまうから、終わってしまうから、美しい夢があるんだと思います。

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自分がこんなにも様々なコンテンポラリーサーカスに関わるとは思っていなかったけれど、
これからもたくさんのサーカスに関わっていきたいな、と思ってます。



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by takekiygalmuto | 2017-10-17 19:03 | 日記

忙しさMAX

最新のブログから一カ月近くたっておりました。
さて、なぜでしょう…

それはですね、
僕がウサギの格好をしてサーカスをしていたからです。
横浜で、よこはま幻影ウェディング、そして京都で、祝祭のサーカスがやってきた!
のふたつをやっておりました。
楽しかったし、あんな衣装をつけることなんてなかなか無くて、
しかもあんまりピアノ弾かなくて、叫びまくっていて、
とても新鮮でした。

そのあとは、福岡の高校生の前で芸術鑑賞会、さらには熊本の小学校で授業をして
やっと東京に帰ってきたらめちゃ寒くなってるんですけど、なんなんですか!

さて、今週来週は怒涛のライブラッシュ!

2017年10月19日(木)「セクシー大サーカス」
渋谷 サラヴァ東京
18:45 open 19:30 start
予約2600円 当日3100円
出演:KANA∞、バーバラ村田、セクシーDAVINCI、イーガル


2017年10月20日(土)「闇夜の音楽綺譚」
あやちクローデル×イーガル
綜合藝術茶房喫茶茶会記

19時開場、19時30分開演
1D付3,000円
何十何回めかわかりませんが
お待ちしております
ワンマンライヴです
茶会記は飲み物500円


2017年10月24、25日(火、水)『MUSIC COCKTAIL CLUB レシピ・ハロウィン』
原宿 ミュージックレストラン ラドンナ
イーガル(とっても目立つピアニスト)、 井上 彩名(日本語で唄ったり喋ったり)、 あやちクローデル(唄う空間造形屋)、 idio2=イデオッツ(Hi2/こ~すけ スタイリッシュコメディ)、 蜂鳥スグル(地獄のカウンターテナー)、 山下 慧悟(ブレない執事)
前売5,000円 /当日 5,500円
※ご飲食代別途要
日本ではちょっと珍しい、サプライズやハプニング満載のラスベガス・スタイルのミュージックショーです。
華やかで愉快…そしてどこか哀しく懐かしい…そんな大人の宴のハロウィンナイト!!
皆様も仮装で遊んだり、ちょっとオシャレしたり…美味しいディナーもご堪能ください。

【ショーのご予約方法】
●電話予約 03-5775-6775 (15:00~22:00) ※営業日のみ
※ 電話でのご予約の際に、チケット代の振込先のご案内をしております。
●WEB予約 http://www.la-donna.jp/reservation.html
※ WEB予約に際しては、クレジットカードが必要になります。
★ご予約の際にお席の希望を伺います。
(あくまでも、ご希望ですので、ご注意ください。)
希望のお席のある方は、お早目のご予約をおすすめ致します。


2017年10月28日(土)『えのき祭』
目黒区立大橋えのき園
10:00~14:00
スペシャルゲスト:セクシーDAVINCI、イーガル


2017年11月19日(日)
『女極道最前線~逝かば秋』
場所: ALT_speaker
時間: 18:30 オープン 19:00 スタート
料金: 2500円+ドリンク代
出演: 金子純恵(三味線ジャズシンガー)、バーバラ村田(パントマイム)、あやちクローデル(唄う空間造形屋)、イーガル(ピアノ)

ニューヨーク在住の三味線奏者且つジャズシンガーの金子純恵姐さんが一時帰国との噂に
東京の女極道たちの緊張状態は一触即発の危険水域に達した。そして11月19日、東中野ALT_speakerにて、最強の女性パフォーマーの頂上決戦の火蓋が切って落とされる!
逃げずに見ろ!



ってなことで、10月も乗り切りますね。





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by takekiygalmuto | 2017-10-17 18:59 | 日記

色弱問題

なんということでしょう、昨日ブログを書いたのに、今日も書くというこの勢い。
今日は告知はしません。なぜなら、昨日したからでございます。

さて、最近僕の中でホットな話題はといえば、色弱です。
僕は色弱なんですね。緑と赤の差が分からない。茶色と赤が分からない。
グレーとピンクが分からない。などなど、色々分からない色があるのですが、
先日、「色のシミュレータ」という色弱の人がどういう風に見えているのかを体感するアプリを入れて、
色んな人に俺はこう見えてるんだよ、と見せたところ、ものすごく驚かれました。
誰がどんな色でものを見ているのかは、正確には分からないけれど、
僕の色弱は、色弱の中でもかなり強い方だということがどうやらわかりました。
僕の見える世界は大体セピア色みたいです。
そういえば、歌舞伎町のネオンとかとっても穏やかな佇まいで落ち着きますし、
色を見てどぎついと思ったことが無いのですが、
客観的に僕の見え方を人に伝えられるのは、ことのほか便利なことだな、とそのアプリを多用しております。

で、ですね、11月上旬公開の『ゴッホ 最後の手紙』という映画の試写に行ってまいりました。
これがもうすごいんです。ゴッホの死をめぐる謎を追う映画なのですが、
まず、ゴッホの絵を元にした構図を多用した実写映画を撮り、それを世界中の画家たちが
1秒12枚、6万枚以上のゴッホタッチの絵にしたアニメーション映画です。
それだけでもものすごい作業だなぁ、と関心するわけですが、内容もとても素晴らしい必見映画になっております。
公開されたら、ぜひ見に行ってみてください。

さて、その試写のあと、知り合いから「疲れなかった?」と聞かれました。
僕は疲れなかったので、よく意味がわからなかったのですが、どうやらゴッホの絵は
色がどぎつくて、それを90分見せられるというのはかなり疲れることのようです。
ここで、僕の見え方をお知らせしたいと思います。

上が普通の見え方。Cと書いてある方ですね。
下が僕の見え方です。Pと書いてある方ですね。

ちなみに僕には上も下も寸分違わず同じように見えます。
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皆さんは上と下、違う色で見えるのでしょうか。
僕はさっぱりわからないのですが、こんな感じにとてもゴッホは多少のデフォルメはあるものの、
自然にある色とほとんど変わず、大変穏やかでございます。

こんな見え方で日常を過ごしております。

生まれた時からこうなので特に日常生活で困るようなことはないのですが、
地味に困ることがひとつだけ。
レストラン等でのトイレに人が入っているのかどうか、何か、赤と緑の違いで把握しろ、というあの合図。
あれが全然分かりません。
まぁ、そのくらいなので支障ないのですが、僕が変な色の組み合わせの服を着ていても
それはそういう趣味なのではなく、僕には違う色に見えている可能性を汲み取っていただけたらと思います。


さて、最近、日本SF傑作選1 筒井康隆「マグロマル/トラブル」を読みました。
半分くらいは読んだことのあるものだったのですが、それでも尚余りある筒井康隆の初期短編の羅列。
最後の方は、まだ筒井なの!的な何だか分からない胃もたれ感に襲われながら読み切りました。
やっぱり素敵。ほんの些細なひらめきやアイデアがこんなにも鮮やかに小説になっていくバカバカしさに胸がすっとします。
さて、次は何の本を読もう。
とても忙しいけれど、やはり今日も僕は本を読むのです…。


次回は、僕の家の電気機器革命とタイムパラドクスについて書こうと思います。


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by takekiygalmuto | 2017-09-12 18:01 | 日記

禅と骨

さてさて、すっかり9月ですね。
もっと早めにブログを更新しようと思っていたにも関わらず、すでに映画か公開になっておりました。

中村高寛監督の新作『禅と骨』
僕は音楽で参加しています。
ポレポレ東中野、キネカ大森、横浜ニューテアトル他にて公開中です。




これがですね、すごくいい映画です。是非とも見てください。
何なんだろう、この人は、というよくわからない圧倒的な存在感と違和感に包まれるようなそんな映画です。
ドキュメンタリーに劇映画、アニメーションがちりばめられております。

今年下半期を席巻するであろう必見の日本映画です。

そして、僕の9月のスケジュールを更新いたしました。

9月29日、30日は横浜市緑区中山駅前でサーカスをやります。
僕は音楽と演奏、そしてウサギさんになりすまして全力疾走いたします。
ぜひぜひ、見に来てください!


今日はね、無駄話を書こうと思っていたけれど、
何だか急用が出来てしまったので、無駄話はまた今度!




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by takekiygalmuto | 2017-09-11 17:51 | 日記
え、やだ、なんてことでしょう。
一ヶ月近くもブログを更新していなかっただなんて。
夏バテですね、してないけれど。

さてさて。
告知です。


2017年8月20日日曜日

Aug.20,2017
四谷三丁目 綜合藝術茶房喫茶茶会記
『闇夜の音楽綺譚』

19:00開場/19:30開演


3,000円(ドリンク代込み)


※入れ替えなし休憩ありの2ステージ構成です

あやちクローデル / うた
イーガル / ピアノ


です。最近のあやちイーガルはとてもシアトリカルになっておりますので、

どうぞお見逃しなく。


そしてそして、


2017年8月26日(土)

13:00~18:00 東京都立川市 立川駅前 すずらん通り

セクシーDAVINCI、izuma、SPINATION、Syan、サンキュー手塚、ながめくらしつ、アートパフォーマー☆ファイター☆、めりこ、大平洋


こちらは、ながめくらしつで出演します。

何とですね、ながめくらしつ、今までとはとても違う試みをしております。

すごい頭を使う稽古をしております。乞うご期待。



んでもってですね、

9月2日から

『禅と骨』

というドキュメンタリー映画が公開になります。

みなさんおなじみに『ヨコハマメリー』の中村高寛監督の第二作です。

試写を見させて頂きました。本当にえげつなく素晴らしい映画になっております。

僕は音楽で参加しております。


てなことでHP見てみてください。みんな、見に行くととてもすがすがしい気持ちになると思います。



今日は告知が多いですね、だって一ヶ月もブログを書いていなかったから…。さーせん。



さてさて、先日、「アルチンボルド展」に行ってきました。

あれですよ、アルチンボルドは、ハプスブルグ家の御用画家として絵を描いていたわけですが、

人の顔を野菜や花で描いたりしてしまう、全くおかしな人でした。

そんなアルチンボルドの絵が大量に来るだなんて!と思って、いそいそ行ってみたわけですよ。


入り口から、あれまーなんということでしょう。

自分の画像をアルチンボルド風にしてくれる素敵なアトラクションが!


さっそくやってみますよね、エンターテインメントにこぞって乗っていくことが今年の目標です。

やるしかないですよね。


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ふえっふぃー!イーガルさんがアルチンボルド風になったよ!
全然似てないけど。くそっ

でもすごいですね、カメラの前に立って、ちょっとじっとしているとこんなものを作ってくださるなんて、素敵な世の中ですね。

さてさて、さてとさてさて、本編の展示ですが、
アルチンボルドの絵はそんなにありませんでした。
むしろ、全体的な印象としてはハプスブルグ家が所蔵している動植物の資料的な意味合いの強いものが多く、
それは果てしなく興味深いものではあったのですが、アルチンボルドの絵はそんなに多くはありませんでした。
だがしかし、それでもありあまるほどの素晴らしさ。
「大気、火、水、大地」や「春夏秋冬」をテーマとした作品群の恐ろしいアバンギャルドさと
めくるめく美しさ。どこを見ても、素晴らしく精密に描かれた動物や花々。
例えば、動物を寄せ集めて人の顔に見えるようにする、花々だけで人の顔を描くなど、
大変執拗な性格のようで、感銘を受けました。

他の展示品も美しく、楽しくすごしたわけですが、
ふと思ったわけです。

「こんなに大々的にアルチンボルド展をやったりなんかして人が集まるだなんてどういうことだ。」

そんなに知名度あったっけ。
でもまぁ、たくさん人が来ていて素敵だなと思いました。

素敵な気持ちで帰途についたわけですが、ここからがイーガルのカルチャラルスタディーズのスタートです。
わたくしのテーマは、行った美術展を如何に生活に取り込むか、なのです。

今回はアルチンボルド的な野菜盛り付けを刊行いたしました。

c0077204_01160228.jpg
ででん。
こんな感じです。概念はあってる。
よし。



そうだ、何だか最近、僕が知ったことなんですが。

僕は元々色弱で、
赤と緑の差が分からず、青と紫もよく分からず、大体色がわからないのですが、
僕の見え方を再現できる「色弱の人がどのように見えてるか」アプリを
あやちクローデルに見せたところ、あまりの驚愕ぶりに僕も大変驚いたわけですが、
今度そんな画像などをブログに貼ろうかなと思っております。

やだ、次回予告なんてはじめてした。
では。





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by takekiygalmuto | 2017-08-11 01:43 | 日記