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作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

カテゴリ:日記( 669 )

僕は3月くらいには何だか知らんがタワマン暮らしをしておりました。
家をリフォームしてたんですね。
で、3月中旬に終わる予定が4月中旬にずれ込み、
4月1日からは家がない、という大変な事態を乗り切りました。

家がないってすごいことよ。
いや、家はあるんだが、家がある状態と家がない状態がこんなにも矛盾なく同居しているだなんて。
シュレディンガーの猫か、この家は。
そんなこんなで僕も

A 家があるイーガル
B 家がないイーガル

の状態が同時に存在した
家が有る/無いイーガル
という超ひも理論的イーガルとして4月前半存在し続けてきました。


まぁ、大体僕は一人くらいしかいないので、
この広大な宇宙の、仮にあるならば他宇宙も含めればですよ、
僕一人くらい寝る場所があるだろう、と思ってたわけですよ。

なのにさ、
寝る場所がない。


もう大阪行ったり名古屋に行ったり、車中泊したり、ホテル取ったり、
次の日の朝を迎えるために生きていました。

で、ようやく寝場所を家の中に確保できたと思ったら
トイレがない。


トイレがない、皆さんそんな事態を想像できますか? 2週間も家にトイレがない。
どうせよと。

そこで思ったんです。
トイレになるべくいかないようにするには
なるべく飲まない食べない。

よし、これで何とかなる…はずもなく
ただちょっと痩せただけで、尿意はさほど変わりませんでした。
でもね、分かったんです。
効果的なダイエット法。

それは、

トイレを壊せ。

トイレが壊れる→使えない→使わないように飲食を控える→痩せる

ということです。何て綺麗な方程式。
死活問題とは大変、物事を進展させてくれる素晴らしい手段ですね。



まぁ、そんなこんなで

家のリノベーションがすっかり終わりました!
そしたら、前に使っていたダイニングテーブルや家具なんかをね、そのまま使おうと思ったら
これがまた欲が出て、素敵なお部屋に素敵な家具を!ってなことになりまして
アンティーク家具を買ってしまいました。
これが世にいう、アンティークの沼。
全然抜け出せません。今も、ブログを書いているこの机も
アンティークのキッチンテーブル…
あぁ、オシャレ。
そして、今わたくしは、なぜかアンティークの筆立てを探している…
このアンティーク地獄はいつ終わるのか。果てしない地獄百景の中にアンティーク地獄も加えてください。


はまる、というのはこういうことなんですね。


はまるといえば、打ち込みで音源を作るのにはまっています。
こちらの沼も大概にせぇ、というほど深い。
周辺機器とか色々買ったりして、
あぁ、ちょっとMIDIシールドが足りないわ! ええ、何か電源が足りないわ! ちょっとまって、外付けDVDドライブが必要だと!?
待って待って、いいスピーカーとヘッドフォン欲しいよね…
なんてなことになるわけです。



死す。



……。

アンティーク×打ち込み という出費しか見えない沼にいますみなさん元気ですか。





僕は元気でry



本当は見に行きたい映画もたくさんあるのに全然見に行けていません。

読書も忙しすぎて何だか4月は進まずに
野阿梓の「花狩人」を
4月の上旬に読み始めたまま、寝る前にしか時間がなく、一日15分くらいしか読書のできないまま
令和になりました。

平成から令和をまたいで本を読むなんて、元号跨ぎの本だなんて、生涯もうやってこないだろう、というよーな
そんなタイミングに野阿梓先生。僕的には大変イカした読書だったなと思っております。

野阿先生ったらね、自他共に認めるヤオイ作家且つSF作家なのです。
本当に美しい狂乱のヤオイSF。なのにちゃんとSF。これを下品にしたらアレですね、森奈津子さんのぶっ飛びSFに連なっていくのですねええそうですね、と
誰にも伝わらないし、むしろ伝えたくないこの言葉を胸に
僕は、令和を迎える瞬間を女装の方々に囲まれて迎え(小説ではなくて、現実で!)
令和初ライブは、女装の方々を前にしてやりました。
いやー、楽しかったな。
何か新元号、ものすごく幸先よくスタートさせていただけたように思います。

てなことで、
今回も役立つ情報の無いブログでした。

少し頻度を上げて更新できるように頑張ります。

by takekiygalmuto | 2019-05-10 21:23 | 日記
舞台作品がたくさんある6月7月です。

国立新美術館でやって以来の再演
ジョルジュ・サンドとショパンの愛と苦悩を描いた作品
「ジョルジュ・サンドの手紙」

毎度おなじみ 半年に一度のお楽しみ
MUSIC COCKTAIL CLUB

ながめくらしつ 新作 「距離の呼吸」

割とホットなパントマイム新作
月と踊り子 

などなどもりもりだくさんです。

てなことで、皆さん色々なところで会いましょう。

MUSIC COCKTAIL CLUBに関しましては、
1日増やしたのにもかかわらず、ほとんどチケットがございませんので
ご予約したい方は、すかさず原宿のラドンナに連絡を!!





by takekiygalmuto | 2019-05-10 20:57 | 日記

月と踊り子

静岡のあそviva!劇場にて
バーバラ村田とイーガルの「月と踊り子」初演をして参りました。

何だか沼津ではながめくらしつが出演していたり、
静岡でも僕たちの公演終了15分後には、チャタさんとSafiちゃんのショーがあったりと、
てんこ盛りな静岡でした。

ながめくらしつからのバーバライーガルからのチャタサフィというツワモノも結構いたのではないでしょうか。


月と踊り子は、バーバラがもともとソロでやっていた演目。
それを今回、別の形で舞台作品にしよう、ということになりました。

漠然とした音楽イメージを具体的な音楽にしていく、という作業は大変ですが、
結構好きなんです。
ゼロから物を作り出すよりも、ある程度の枠組みがあって、その中でできることややるべきことを探すという作業。
なんていうんでしょうか、
必ず正解があるはずで、それを見つける作業というのでしょうか。
ゼロからものを作る場合、正解がない可能性があるわけです。
やってみたけど、
全部無駄、みたいな…。
でも、ある程度の全体像が見えている場合、必ずその作品における正解は存在していて、
その正解を探すというのが、
心地よかったりします。
砂山から砂金探し出すみたいな、途方もない確率でも必ず答えがある、という安心感は何事にも代えがたいと思うのです。

今回、月と踊り子は新しいバージョンが出来上がりました。
ご覧いただいた皆様ありがとうございました。
そして、これから色々見えた課題を修正しつつ、長く演じられる作品にしていきたいと思っております。




さて。
大道芸もやりました。
「かたわれ」をですね、静岡の中心地、札の辻でやったときのことです。
何やら巨大スクリーンがありましてですね、5分に1回くらい
「最終決戦!」
って言うCMが流れるんです。
あらやだ、どうしよう、と思いましたが、
僕は決めたんです。
「今日のテーマは共存。」

ということでCMの音と目まぐるしく晴れと雨に変わる天気と、帽子と譜面台を飛ばす強風と共存しながらやりました。
何だか楽しかったです。


プロである以上どんな条件でもそれをプラスにしなければいけない、と改めて思いました。
精進します。



3月後半から6月くらいまで告知できるものがいくつかあるはずなので、
近々出演情報ちゃんと更新しようと思います。



by takekiygalmuto | 2019-03-20 19:44 | 日記

ハイスペック男子

こんにちは、イーガルです。
いつも通りぼんやり過ごしておりますが、
最近ですね、前にも書きましたが、わけあってタワマン暮らしをしております。
そうなんです、3月中旬に終わるはずだった家のリノベーションが終わるに終わらず、帰るに帰れず、
私、未だタワマンなる謎の建造物で暮らしております。

なんていうんでしょうか、ミニマリズム?
とにかく物が少ない。あほみたいに少ないんです、ここ。
オサレでスッキリした部屋の中に何もない。

んでもってね、
意識高い系タワマンでの仮住まいのイーガレッティは
借りぐらしをストレスなく過ごそうとした結果、

あんなにも、ちょっとなぁ、という気持ちに勝手になっていた
僕的二大雰囲気男子

無印男子
ハイスペック男子

をですね、
何と補完してしまうという大変な暴挙に出てしまったのでした。

僕の勝手なイメージでは
無印良品なるブランドは
シンプルで良いものとか言いながら
実は安くもなく良くもなく、普通の値段の店
だと思っていて近づかなかったんです。

でもな、
このミニマリスティックなミニマリズム生活は結構キツいので
ちょっとばかし無印良品のお世話になってみようかと店舗へ行ったんです。

え。
めっちゃ使えるじゃん…

ごめんなさい神様。イメージだけでなんやかや思っててすみませんでした。
ボディソープとか拭き取り化粧水とかなんか知らんが仮住まいには丁度いいサイズでお手頃価格で
こんなにもあなたたちはわたしの生活を考えていてくれただなんて…

ということで現在、いろいろな備品が無印良品です。
晴れて僕も無印男子になりました。

いけませんね、イメージだけの偏見。
まずは飛び込め!
格言です。はい、今作りました。


んでですね、僕はパソコンってほとんど使わなくて、楽譜を書くか音源を作るか、くらいしか使ってなかったわけですが、
やっぱり必要に駆られて、
ノートパソコンを買ったんです。
現在もミニマリズムに溢れた(言語矛盾)何もないこの部屋でマグカップ(これだけはなぜか部屋の備品で最初からあった)に
コーヒーを入れて、パソコンに向かって何やら文字を打ち込んでいるわけですよ。
さらに、このパソコンには楽譜制作ソフトやら打ち込みソフトやらが入っていて、
こないだなんか、ちょっとこのパソコンを持って、オサレなコーヒー屋さんになんか行っちゃってさ、
気づいたんです。
これは、まさか!!

ハイスペック男子なのでは!!

いやぁ、まさか、じ、自分がハイスペック男子になるなんて、そんなわけないじゃないか、と自戒しつつも
やってみました。
スタバでfacebookを開く、という、あの恥ずかしい行為を。

そしたら
開けるじゃないですか…

ちょっと楽しい…

だなんて思ってしまった。

恐ろしい。いとも簡単にナウいことができるだなんて。
文明の力とはこのように人を侵食していくのですね…

そうそう、最近気づいたんですが、
TwitterがFacebookと連携できなくて、インスタ発信にすると
両方とも瞬時に連携してくれるんですね。

ということで、インスタから色々発信しているので、
突然イーガルさんがインスタやらFacebookに投稿頻度があがったように見えるのは気のせいです。
利便性の問題です。

まあ、そんなこんなで
現在のイーガルはミニマリズム×無印×ハイスペック
という、雑誌に出てきそうな生活をしております。

きっつい。
早く、本に包まれた、物に溢れた部屋に帰りたい。
とか思いつつ、このオサレ生活もいいもんだ、とよくわからない葛藤の中におります。


さて、今日は詩集を買いました。
うわぁ、何か雰囲気系男子がしそうなことですね。
でも全然そんなオサレな詩集じゃないですけど。

三月末からイベント、大道芸フェス等々…現状7月終わりくらいまでは突っ走るようなスケジュールになっておりますが、
頑張ります。

役に立たないブログをちゃんと書こうと思います。

by takekiygalmuto | 2019-03-20 19:23 | 日記

岬の兄妹

最近、どんな映画を見ただろうか、と思ったら、

「サスペリア」のリメイクと去年の夏に見損なった「クワイエットプレイス」をやっとこさ見て、
あとは、3月1日公開の「岬の兄妹」をひと足お先に見させて頂きました。

「サスペリア」は丁寧な映画作りでとても良かった。
「クワイエットプレイス」も叫べないという抑圧された恐怖と映像の美しさ、そして何より音の使い方のうまさが素晴らしかったです。


でもな、何より、「岬の兄妹」ですよ。
僕は二ヶ月くらい前に見させてもらいましたが、これがもう、見終わってから何とも気持ちの置き場の困る代物で、
やるせないというか、ダメ人間映画というか、それなのにどこか心に引っかかる何か。
知的障害の妹を身体障害のある兄が売春させる、という話なんですが
これが行き場のない切なさに満ちていて、
その中で急に訪れるもどかしさの発散やら、青春の美しさみたいなシーンやら、
見どころしかない映画でした。

が。
全然ヒューマニズム映画ではないので、たくましく生きるだとか、貧困問題だとか、兄妹の美しさだとか、障害者版万引き家族だとか、そんな風に思って観てしまうと、カウンターパンチを喰らって、ノックアウト負けになるような映画ですので、ご注意ください。
もっとギリギリの映画です。やむにやまれずそんな環境に陥った貧しさを描いた映画ではないのです。
むしろ、そうやって生きるたくましさやズルさ、人間は美しく汚く弱くたくましい、というような
相反するたくさんの感情を相矛盾しながら抱え込んで、フラクタルに存在している、というような言葉では説明できない矛盾に満ちた人間の生き様をそのままむき出しに映像に映し出している、そんな映画です。

観てから結構時間が経ってますが、ふと、あぁ、あのシーン美しかったな、とか、なんか良かったな、とか
思い出す度に、どんどん美化されているので、
もう一度、映画館で観て、やっぱクソだな、と上映後に思いながら、それでも尚いい映画だなぁ、としばらくしたら思うんだと思います。


明日3月1日から公開されます。
ので、よかったら覚悟して、観てみてください。





by takekiygalmuto | 2019-02-28 13:28 | 日記

タワマン暮らし抄

わたくし、訳あって一ヶ月ほどタワマンというところに住んでおります。
タワマン、ええそうです、巷でウワサのタワーマンション。
ハイスペックなオサレピーポーがこぞって住んでいるというあのタワマンでございます。

理由は至って簡単でして、自宅をリノベーションしているので、
その間だけ違うところに住んでるわけですね。
ギリギリまでどこに一ヶ月住むか決めていなかったために
マンスリー貸しをしてくれる場所を探していたら、タワマンになってしまったわけです。


家具付きなんですけど、これがですね、なんというかミニマリストかというくらい何も無い。
電気調理器1つ、その下に洗濯乾燥機がついているという機能性重視の設計。
最小限を下回る調理器具類。
なんですか、この何もない空間は。
こんなところでずっと生活するなんて、とてもじゃないけれど僕には無理、というそんなところでございますが、
そこに楽器類を持ち込んで、とりあえず1ヶ月凌いで行こうと思っております。


ミニマリストイーガルは、ミニマリストらしく本なんかも全然持ってこなかったので、ちょろちょろ自宅に帰っては本を持ち出したりしております。

タワマンに来て読んだのは、

平井和正 「日本SF傑作選4 平井和正 虎は目覚める/サイボーグ・ブルース」

こちらは、日本屈指のSF作家の一人、平井和正の傑作選です。はい、タイトル通りで何の説明にもなってませんね。
この日本SF傑作選シリーズ、とにかく収録作品の選び方が素晴らしい。今回は、「サイボーグ・ブルース」が全編入っているという素晴らしさで、初めて読みましたが今読んでも古さを感じない素敵な物語でした。
さらに、「デスハンター エピローグ」が最後に収録されていて、これさ平井和正の「ゾンビーハンター」のエピローグなんですよ、ゾンビーハンターを読んで無かったらただのネタバレという、やはりSF好きのための選集。今回も楽しく読ませて頂きました。

小川哲 「ユートロニカのこちら側」

タイトルからちょっと雰囲気SFなのかしら、なんて思っていてごめんなさい。もっと深く、観念的なSFでございました。
個人情報を開示し、モニターされ続ける街の話です。連作短編という感じですが、このような個人情報開示、管理社会というものが近未来に訪れうるものとした上で、良し悪しは個人の見解の相違であって、善悪を問うものではない、というスタンスが素敵でした。
SFというよりは、SFガジェットを使った社会批評的な(批判的な、でも、肯定的なでもなく)、奥深い小説でした。
この本のあとがきを読んでいたら阿部和重の「インディヴィジュアル・プロジェクション」を読まざるを得ない気持ちになって(短絡的)、読むことにしました。

阿部和重 「インディヴィジュアル・プロジェクション」

ということで、「インディヴィジュアル・プロジェクション」。久しぶりの再読。初めて読んだときは、サラッと、ほへぇ、というような感想で読み終えた気もしますが、なかなか読み応えのある小説でした。
小説内で物語が進むにつれて、混乱する物語。人物が他の人物と同一化していき、それが誰のどんな主観に基づく、物語内の真実なのかが、見えなくなってゆく。明快な設定のうちに始まったはずの物語が、読み進めるにつれて胡散臭く、モヤのかかった混沌へと変わってゆく。それがエンディングで解消されたときに、あぁ、全くもう!という何とも言えない気持ちだけを残して終わってゆく。素晴らしいです。阿部和重作品、ちょっとまたいくつか読み返そうと思いました。

三浦俊彦 「エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える」

涼宮ハルヒシリーズの短編で、ハルヒが夏休みらしいことをやり遂げるまで永遠のループを繰り返してしまう主人公たちを描いた「エンドレスエイト」がアニメ化されたとき、8週に渡って、ほとんど同じ物語が若干のセリフや衣装を変えただけで8回繰り返し放送されたハルヒファンドン引きの謎ムーブを見せた「エンドレスエイト」をモチーフに、人間原理からTV版「エンドレスエイト」を定義する、一応哲学書。いや、内容は哲学書ではなかったです。人間原理の話も出てきますが、様々なアプローチから「エンドレスエイト」を見た場合、どうあがいても駄作、失敗作である、と結論が出され、しかし、そこから別の分野のアプローチを仕掛けると、突然意義のある傑作として受け止めることが可能になるというような思考実験の本。
「エンドレスエイト」をコンセプチャルアートと定義してみたり、それをディナイしてみたり、色々こねくり回すと、宇宙生成の話にまで拡大していく、というとんでもなくアホらしい思考実験なのですが、面白かったです。
ただし、著者の言う結論に至るには少々強引な手続きが多すぎるので、これをそのまま真として受け止めるには難しく、「著者の命題が真であるのならば」という条件付きで成り立つ解であるように思います。理論の置き換えも、ちょっと飛躍しすぎてそこは丁寧な説明が必要だろう、と思うことも無きにしもあらずです。
あと、専門用語なのでしょうがない部分がありますが、実験音楽の文脈で、十二音音楽、セリー技法…という羅列があるのですが、これは誤謬でしょう。十二音音楽=十二音技法で、それはセリーを使ったものなのです。セリー技法は、トータルセリエリズムのことを指しているような気がしますので、再販される際は、十二音技法、トータルセリエリズム…に変えるのが妥当かと思いました。

まぁ、そんなことはさておいて、すごいしょーもない事柄を、様々な面から検討して、否定する。否、となったところに別の道筋を見出す。否定から答えを導く、というやり方。谷川渥先生の「美学の逆説」的な展開で、人間原理のロジックをたどっていくのは大変面白かったです。
もう最後の方は、理論がどーのとかいうよりも、突っ走っていく勢いに笑いっぱなしで読み終わりました。
大変、ためになる面白い本でした。
ハルヒファンじゃなくても楽しく読める本です。


さて、次は何を読もう。






by takekiygalmuto | 2019-02-28 13:05 | 日記
去年もいろいろありましたが
一番くだらなくて、どーでもよかったことはなにかな、と思いました。

なんだろう。
良かったこととか楽しかったことは、そりゃもう良かったし楽しかったから覚えてるよね。

でもくだらなかったことなんて、くだらなさすぎて全然覚えてないわけです。
もう、覚えてる時点で、それはもはや何かしらの思い出を伴ったくだらなくないことになってしまうわけで、
そんなわけで、去年一番くだらなかったことは、忘却の彼方にあるわけです。

さて、それでも何かくだらないことはなかったのか。
あったはずだ。

と、これまた手帳を見ながら考えてみます。

でもね、くだらないことは、ふいにやってくるわけで、
予め手帳に「くだらないことが起きます」だなんて書いてないわけです。
だからその、手帳には何も書いてないわけですよ。


じゃあ、何か僕なりに、くだらないこと=そんなに労力をかけなくてもいいものに渾身の匠の技を使ったもの=無駄遣い、と仮に定義してみたらどうだろうか、と考えました。
僕なりにしょうもないことに労力をかけたら、面白いけどくだらないなーぁ、と思うわけです。

何があったかしら、と思ったら、夏頃ですね、五次元歌謡ショーという、イベント名からもわかるくらいに、良い意味でくだらないイベントがありまして、それはですね、巨大なち○こ型ミラーボールを中央に鎮座させて、その周りで盆踊りをする、という櫻田宗久主催の大変有意義な催し物でして、それに出演した際に、夏をイメージした曲を歌う、というお題を頂きました。
色々考えた結果、「悪魔くん」の主題歌を、えーとあれですよ、エロイムエッサイム エロイムエッサイム ほらバランガバランガなんちゃらなんちゃらほい、って歌ですよ、それをピアノ弾き語り用にものすっごいアレンジしたんです。
その一回きりしか披露してないので、大変な無駄なんですが、これが結構労力がかかっていて、その結果報われないこの感じ、くだらなくて大好きです。
というか、一緒に出演していた内田春菊さんなんて、コーヒールンバ歌ってたし、夏をイメージした曲、って一体…。

あぁ、あれが去年一番くだらない出来事だったな、と大変楽しく思い出しました。
いや、いい意味でくだらないんです。

そんなイベントをしたサラヴァ東京ですが、2月17日にクローズしてしまいます。
僕は青い部屋が無くなって以来、プレオープンから出演させてもらっていたお店。
サラヴァ東京が無くなるのは複雑な思いですが、
今月の14日のセクシー大サーカスの、渾身のパフォーマンスをしようと思っておりますので、
みんな来てね。

2019年2月14日(木)「セクシー大サーカス」
渋谷 サラヴァ東京
18:45 オープン 19:30 スタート
出演:セクシーDAVINCI、イーガル、加納真実、目黒陽介、長谷川愛実、Yo-yo entertainer TOMMY
前売り 2900円 当日 3400円



あ!!


思い出した。

去年一番くだらなかったのは、ステージで演奏中にZOZOスーツを着て、お客さんに写真を撮ってもらって、
僕のサイズを測ろうとして買ったZOZOスーツを未開封のまま、放置してることだ。


いや、不毛。


今年も何一つ役に立たないブログ、がんばります。

by takekiygalmuto | 2019-02-07 22:29 | 日記
えぇと…
半年くらい? ブログを書いていませんでしたね。
あけましておめでとうございます。

さて、去年一年間、僕は一体何をしていたのかと、
確定申告のことをダラダラしながら手帳を見ていたら

大道芸フェスに
ながめくらしつやAYACHGAL、はたまたイーガルソロで出演したり
舞台作品を何本かやったり、
北原ミレイさんと共演できたり、
楽しいことがたくさんありました。

今年に入ってからは、
横浜の小学校で合唱曲を小学2年生たちと作ったり、
大道芸をしたり、ラジオ収録をしたり、と
まぁ、そんな感じで始まりました。

どんな一年になるか、楽しみです。



んな、ことよりだな、
僕は、年末。というか去年の12月中旬から年末まで何度の映画館に行っていたのです。
しかも同じ映画を見に。

「へレディタリー/継承」

というホラー映画なんですが、
もーーーっ! これがめちゃくちゃ面白くって、何度も見たくなっちゃったわけです。
主演のトニ・コレットの演技が凄まじく凄まじいのと、
映画が終わったときに、は?何これ?ってなるんですが、
それから思い返してみると、絶対にこれしかない、という映画の道筋が見えるんです。
こんなロジカルなパズルみたいな映画久々に見たよ。感動した。
それで答え合わせのためにまた見に行って…みたいな感じで最終的には、
年末かなんかは、深夜に映画館がやってたりするんですね。
うっかり、深夜に衝動に任せてへレディタリー。継承してまいりました。

僕的去年のベスト映画、ダントツトップですへレディタリー。おういぇあ。

そんでもってですね、去年はアメリカ映画でホラーは豊作だったとウワサを聞きまして、
こないだ「サスペリア」のリメイクを見てきたんです。
「君の名前で僕を呼んで」の監督が、リメイクしたんですね。

いやぁ、これがまた面白かった。へレディタリーとはまた全然違うんですが、
面白い。



さてさて。
近況です。

暇な日は大体、映画を見るか漫画を読むかアニメを見るか本を読んでいる僕ですが、
今年に入ってからは、漫画をたくさん読んでいました。

それから、本。最近読んだ本。


アール・コニー/セオドア・サイダー「形而上学レッスン」

セオドア・サイダーの「四次元主義の哲学」を読んだりなんかして、他の著書を読もうとしたらこれしかなく、読んでみたところ、形而上学の「問い」ごとにコニーとサイダーがそれぞれ、問題を整理して書いている素敵な形而上学入門書。
決して答えを出すための本ではなく、形而上学的問いとはどのようなものなのか、ということをいろいろな視点から書いている、大変入門に適した本でした。読めばあなたも形而上学通。ってな感じです。
やはり、サイダーの持つ、哲学的視点の明快さは読んでいて気持ちがよいです。

エリック・ホッファー「自伝」

波止場の哲学者と呼ばれたホッファーの自伝。波止場の労働者になる前までの出来事が語られています。
読み応えのある本でもなく、波乱の人生と呼べるほどには波乱も無いのですが、それでもいつどのようにホッファーが何を考え、感じていたのかを教えてくれる自伝でした。


石川宗生「半分世界」

4つの中短編です。「吉田同名」は、とある吉田さんがめちゃくちゃ増殖する話でした。大変美しい共同体のお話。素敵です。「半分世界」は、家が半分無くなって、中が丸見えなのに普通に生活している家族を観察する人々の話。こちらもものすごく良く出来ていました。
が、しかし、次の中編「白黒ダービー小史」がものすごい。「吉田同名」や「半分世界」で短編をきっちり書ける人だな、とは思ったのですが、もしかしたら長編をまとめられないのではないか、というような勝手な心配をしていたわけですが、この「白黒ダービー小史」は、とある町が白と黒に分かれていて、謎のサッカーみたいなゲームを街中で繰り広げている中で、対立する白黒両チームの選手たちの恋、ロミオとジュリエットのような恋模様が描かれています。
何となく、アメリカの現代文学的な雰囲気を感じました。ピンチョンとかフィリップ・ロスあたりの。
だがしかし、最後の短編「バス停夜想曲、あるいはロッタリー999」は、南米文学のマジックリアリズム的世界観、こないバスを待つゴドー感、小さな出来事から世界を構築していく様、ものすごい作家だな、と思いました。
4篇通じて、SFというよりは、もう少しマジックリアリズム的な純文学なんではないかという気もしましたが、大変好みです。これからも新刊が出たら読みたいと思います。

高山羽根子「オブジェクタム」

表題作の他、短編が2篇収録されていますが、とにかく表題作「オブジェクタム」が素敵でした。
本当にあった出来事なのか幻なのか夢なのか判別のつかない様々な事柄が同じように語られ、想像の世界の中で輝いている。そんな小説でした。
あぁ、美しい。





さて、今年も、何にも有益じゃないブログでスタートしましたね。
今年も一年、不毛なブログを目指します。

ことよろ!

by takekiygalmuto | 2019-02-07 21:55 | 日記
さて、先日試写会に行ってまいりました。
「バルバラ セーヌの黒いバラ」


今年は前半にシャンソン歌手ダリダの伝記映画が公開され、そして、11月にはバルバラを題材にした映画が公開されるだなんて!
とワクワクしておりましたら、
何と試写に呼んでいただきまして、見てまいりました。


これでございます。
バルバラを題材にした映画を撮ろうとする映画監督と主演女優の話です。
劇中には、バルバラの本人映像満載、そして、バルバラの映画を撮影するシーン、
さらに映画監督と主演女優の撮影外での様子が入り乱れて、構成されております。
どこまでが撮影されている「バルバラにまつわる映画」なのか、
どれが「本人映像」なのか、どれが「監督と女優の日常」なのか、
映画が進むにつれてその境界線は曖昧になり、違うはずのレイヤーが淡く滲みながら重なりあってゆく。
劇中映画の主演女優が演じるバルバラ。彼女が曲を作るシーンを興味深くみました。
ピアノを弾きながら鼻歌で…こんなふうに曲を作っていたのかなぁ…
ふむふむなるほどなるほど、などと思ったりもしましたが、
そんなシーンも突然、セットが解体されて消失してしまったりします。
基本的には構造が入り組んでいて、一体何が映画内で進行しているのか、一見しただけではわからない。
今見せられているのは、映画内映画なのか、それとも女優の日常を描いたセミドキュメンタリー的な何かなのか、
映画内に映る粗いフィルム映像はバルバラ本人なのか、時間をおう毎に、境目は曖昧になり、
映画後半では、もう僕は見せられているものが何かを考えることを放棄しました。
それでも圧倒的に美しい混沌が心の中に流れ込んでくる。
そんな映画でございます。

僕は、あやちクローデル×イーガルのユニットで、バルバラの楽曲を演奏することがあります。
特に「黒いワシ」。
歌詞が多様な意味を持ち、解釈の幅が広い。何でしょう、文学で言えばジョイスの「ユリシーズ」みたいなものでしょうか。
多義語、という言語の特性をいかした謎めいた言葉の羅列。一応意味はわかる、けれど、それが一体何を指しているのかわからない…、その分からなさと得体の知れなさをそのままに、バルバラの曲を演奏しています。
言語化できない何か、がバルバラの歌にはあると思うのです。
バルバラは歌手であり、言葉を扱っているのだから言語化できない何かなはずはなかろー、と思うでしょ。
でも、だがしかし、さもありなん。バルバラの歌は言語化できない何かを、言語という表層の裏側に隠しているような気がしてならないのです。
そして、その見えざる言葉を、表層にある言葉とつなぎ合わせながら演奏してゆく。バルバラの楽曲を扱う、ということは、
そのような作業だと思っています。


そして!
この映画がまさに、バルバラの楽曲に僕たちが向かうときに感じる解釈の不可能性と同じでした。
この「バルバラ セーヌの黒いバラ」という映画自体がバルバラの音楽のような、
バルバラの音楽の概念のような映画でした。
気持ちいいほどに、「解釈する」という行為自体が飽和して、消失していくような体験。

何か似たような映画はあったかな、と思ったら
イングマール・ベルイマン監督の「ファニーとアレクサンデル」やデヴィッド・リンチ監督の「インランド・エンパイア」
に近いのかな、という気もしましたが、
上記の映画はもう少しレイヤーの区分がはっきりしていて、観客はその混沌の外側に居続けられます。
しかし、この「バルバラ セーヌの黒いバラ」は、観客共々、映画の中で迷子になっていく、出口のない迷宮のような映画です。

何度も見たい。もう今すぐ見たい。
そして劇場でも見たい。

皆様、ぜひ劇場で御覧ください。
11月16日Bunkamura ル・シネマで公開です。

いやぁ、こんなにも破壊力のある映画だったとは…。
こんな凄まじい映画を撮ったマチュー・アマルリック監督に脱帽です。



by takekiygalmuto | 2018-09-16 19:40 | 日記

9月前半の読書

8月はシアタートラムにてながめくらしつ「うらのうらは、」やら、僕自身が作曲して指揮をしたバレエ初演など、
舞台に関わるものが多かったのですが、
その合間をぬって、
増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んでおりました。
基本的に僕は読書のスピードが早いので月に10冊程度の本を読むのですが、
何と今年の8月はこの一冊にほとんど費やされてしまいました。
僕はほぼ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の半殺しにされておりまして、
この夏の読書は格闘技で御座いました。
こんな恐ろしいノンフィクション、何。
むしろ、怒り。

だって、おかしいでしょ。
当時テレビの視聴率100%だったプロレスの
木村雅彦vs力道山戦
の裏話的なアレかと思って読み始めたわけですよ。
そしたら、日本柔道の歴史やら、東条英機やらマッカーサーやらいろいろな人や事件が登場しまくりまくりまくりで、
もうこれは日本の戦前、戦中、戦後の柔道を通した日本文化史、特に戦後にどのようにして「興行」というものが
発展していったか、という文化論の一種でございました。
いや、むしろ、海外にどのように柔道が伝わり、誤り、あるいは日本で消えてしまった柔術が海外にはまだ残り…、と
日本のことだけではなく、海外も巻き込んだ壮大すぎるルポルタージュで、
猛暑の中、僕はこの本と戦い続けたのでした。
読み終えた感想は、

スゲー。

オワッター。

…。

もう脱力ですよ。やっと読み終えた(勝った)。
僕はこの夏プロレスをしていたようです。本と戦っていたようです。

今では名前すら一般には忘れられているかもしれない木村政彦という柔道家の一代記、
あまりにも破天荒で、柔道に真剣で、そして人生に真剣で、ズルく生きた一人の男の生き様に
共感と反発と、何ともいえない「時代」に呑み込まれた哀しみを感じました。
素晴らしいノンフィクションでございました。


さて、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読破して、満身創痍のイーガルですが、
やっと他の本に手を伸ばして、読み始めようと思ったら

もう9月やないかいっ!

どういうことだ。夏を満喫するような夏読書をしようと思って買っていたあの本もこの本も
もう永遠にこない8月に取り残されたように部屋に置かれておりました。

ということでこの1週間の読書は
森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」
名倉編「異セカイ系」
村田沙耶香「コンビニ人間」
の三冊でございました。

「ペンギン・ハイウェイ」
小4の夏休みに街中に突然ペンギンが現れたり、現れなかったりする話。
確か日本SF大賞を取っていたような気がして、夏休みシーズンに読もうだなんて思っていた僕の思惑は
見事にすかされて、9月に読みました。
内容は理論SFというよりは、ジュブナイル×ファンタジーといったところでしょうか。
感想は、小4から巨乳好きは危険。です。

もう少しSF要素が強いのかと思っていたので、少々期待はずれの部分はありましたが、
それでも尚、面白いストーリーと軽快な文章。登場人物たちの会話の、ちょっとピントをはずした話し方が
たいへん面白く、最後まで一気に読んでしまいました。

ただ、これは子供向けなのでしょうか…、結構後半はロジカルな部分も多く、小説内世界の構造を把握するには
ある程度のSF基礎力が試されるような気がしました。


「異セカイ系」
あー、もう、なんだよこれ!と叫びたくなるような多層構造のメタSF。
いや、SFでもないのか、むしろ、実験小説の部類に入るのでしょうか。
ウェブ上で小説を公開するサイトで上位10作品に入ると、その小説世界に作者が入ることができる、
というのが大筋なのですが、
作者と(作者の創造した)キャラクターとの関係性、
そして、作者とキャラクターは完全に違うレイヤーに存在していて、
互いに干渉することは不可能なのか、
また、可能な場合はどのような場合なのか、
そのようなことが書かれた小説であるような感じがしないでもないような小説でした。
一義的には、小説というものがあれば、そこには作者が存在します。
その作者より上位に小説内のキャラクターが立つことができるのか、という挑戦に思えました。
このような試みはフランスのヌーヴォー・ロマンの文脈ではいくつかあったような気がしました。
クノーの「イカロスの飛行」とか確かそうだったような。
あとイタリアのピランデルロの戯曲で「作者を探す六人の登場人物」というのがあったような気がします。
日本でも、筒井康隆が「残像に口紅を」や「虚人たち」の登場人物たちが何らかの物語の登場人物であることを
意識した行動を取っていました。

「異セカイ系」では、小説内の主人公の一人称独白で進んでいくのですが、
それがもう何だかアホみたいに爽やかでリズム感のある関西弁で、それが生き生きとしていて、
さらに、小説内がどんどん多重構造になっていき、最後にちゃんと落とし前をつけて、
しかも、希望に満ちている。
単なる自己完結系独りよがりな「自分の書きたい世界」を書いた小説ではなくて、
オタクっぽくありながらも、この現実世界を見つめる眼差しのある小説でした。
大変大好きです。
でもあんまり人に進められない小説だな。でも大好きです。
セカイ系が好きな人よりも、入れ子構造の小説が好きな人に勧めたいです。
でもそういう人はこの同人誌感に抵抗があるような気も。
誰に向けられて書かれた小説なのか、ターゲットが謎すぎますが、
めちゃくちゃ素敵な小説でした。

この一週間は新鮮な読書が続いております。


「コンビニ人間」
芥川賞受賞作ということで読む気も起きなかったのですが、
とあるキッカケで読んでみることにしました。
とあるキッカケというのが、この本の主題がコミュニケーション障害にある、ということを知ったことなのですが、
僕はですね、この「コンビニ人間」が芥川賞を受賞したとき、
勝手にですね、コンビニで働く健気だけど一生懸命生きている人々の些細な幸せを描いた小説、
と思っていたわけです。
そしたらどうよ、全く違うんだよ。
人とのコミュニケーション不全の主人公が、18歳のときに「コンビニ人間」として生まれ、
人々の言動をトレースしながら、漠然とした「普通」を無感情に演じながら生きる、という話でした。
冒頭の方でいきなり、

「コンビニ人間として生まれる前のことは、どこかおぼろげで…」(「コンビニ人間」より)

などと、自分を、人間としてではなく、コンビニ人間という新種の何か、として見ていることが明確に提示され、
そして、主人公を取り囲む「普通」という漠然とした何ものかの枠内に生きる人々との、社会的関係性が、
淡々と描かれている。

むしろ、新種コンビニ人間誕生秘話的なSFなのではないか、と考えてしまうほど、
全然普通の小説ではありませんでした。
感情、という機能が無く、そしてそれを補うために他者をトレースしてゆく主人公。
社会的「普通」の中に真性コンビニ人間を埋没させようとする主人公。
そして、ラストシーンでは、美しく、その自分の存在を社会的な何か、から乖離させて、
自分になります。
これは絶対にハッピーエンド。何かのレビューでバッドエンドだというようなことを書いている人がいたような
いないような、いや、いなかったかな、どうかな。

さらに、この主人公と同じような気持ちを持ちながら、それでも「普通」と戦うがために戦闘能力を失った男や、
リア充っぽい人たちがいて、そして、何よりも「普通」を体現したような人たちもたくさんでてきます。
この主人公は最初から全然戦っていないし、社会の中に自分の位置など気にしていないし、
なにかに抗ってもいない。
感情が見えない。それなのに、それが全く空虚でも哀しみでもなく、ただ、今まで誰も描かなかった、
そして、描けなかった新しい人間像を小説世界に提示してくれたような気がしました。
こんな傑作を今まで無視していてごめんなさい。
こういう小説を待っていたんです。
こういう小説を読みたかったんです。

他者とのコニュニケーションが苦手な人を主人公にした小説じゃないんです。
これを読んで、「私もコミュニケーション苦手だけど、勇気がでた」とか言ってる場合じゃないんです。
そもそもコミュニケーションの概念自体が無い人の小説なんです。

ああ、この村田沙耶香さんの本、出てるだけ全部読みたい。
コミュニケーション不全の人間を主人公に、どんどん突き進んでいるのか、読みたくて仕方ないので、
一冊買ってみました。
読むのが楽しみなので、来月あたりに読もうかと思っております。



さて、今回も長いですね。


噂の映画
「カメラを止めるな!」
を見ました。

なるほどね。という感じでした。
良かったんです。良かったんですけど、傑作!というよりも、
え!? これ、今まで誰もやってなかったのか、盲点!

みたいな感じでした。
でもこういう映画を撮れるって、いいなぁ、と思いました。


さて、「ペンギン・ハイウェイ」。劇場で見ようかな。


はい、今回も長々とすみませんでした。
もう少し人の役に立てる人間になりたいです。










by takekiygalmuto | 2018-09-16 19:35 | 日記