作曲家/ピアニスト 武藤健城(イーガル)の公演情報などなど日々の白昼夢。


by takekiygalmuto

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さて、先日試写会に行ってまいりました。
「バルバラ セーヌの黒いバラ」


今年は前半にシャンソン歌手ダリダの伝記映画が公開され、そして、11月にはバルバラを題材にした映画が公開されるだなんて!
とワクワクしておりましたら、
何と試写に呼んでいただきまして、見てまいりました。


これでございます。
バルバラを題材にした映画を撮ろうとする映画監督と主演女優の話です。
劇中には、バルバラの本人映像満載、そして、バルバラの映画を撮影するシーン、
さらに映画監督と主演女優の撮影外での様子が入り乱れて、構成されております。
どこまでが撮影されている「バルバラにまつわる映画」なのか、
どれが「本人映像」なのか、どれが「監督と女優の日常」なのか、
映画が進むにつれてその境界線は曖昧になり、違うはずのレイヤーが淡く滲みながら重なりあってゆく。
劇中映画の主演女優が演じるバルバラ。彼女が曲を作るシーンを興味深くみました。
ピアノを弾きながら鼻歌で…こんなふうに曲を作っていたのかなぁ…
ふむふむなるほどなるほど、などと思ったりもしましたが、
そんなシーンも突然、セットが解体されて消失してしまったりします。
基本的には構造が入り組んでいて、一体何が映画内で進行しているのか、一見しただけではわからない。
今見せられているのは、映画内映画なのか、それとも女優の日常を描いたセミドキュメンタリー的な何かなのか、
映画内に映る粗いフィルム映像はバルバラ本人なのか、時間をおう毎に、境目は曖昧になり、
映画後半では、もう僕は見せられているものが何かを考えることを放棄しました。
それでも圧倒的に美しい混沌が心の中に流れ込んでくる。
そんな映画でございます。

僕は、あやちクローデル×イーガルのユニットで、バルバラの楽曲を演奏することがあります。
特に「黒いワシ」。
歌詞が多様な意味を持ち、解釈の幅が広い。何でしょう、文学で言えばジョイスの「ユリシーズ」みたいなものでしょうか。
多義語、という言語の特性をいかした謎めいた言葉の羅列。一応意味はわかる、けれど、それが一体何を指しているのかわからない…、その分からなさと得体の知れなさをそのままに、バルバラの曲を演奏しています。
言語化できない何か、がバルバラの歌にはあると思うのです。
バルバラは歌手であり、言葉を扱っているのだから言語化できない何かなはずはなかろー、と思うでしょ。
でも、だがしかし、さもありなん。バルバラの歌は言語化できない何かを、言語という表層の裏側に隠しているような気がしてならないのです。
そして、その見えざる言葉を、表層にある言葉とつなぎ合わせながら演奏してゆく。バルバラの楽曲を扱う、ということは、
そのような作業だと思っています。


そして!
この映画がまさに、バルバラの楽曲に僕たちが向かうときに感じる解釈の不可能性と同じでした。
この「バルバラ セーヌの黒いバラ」という映画自体がバルバラの音楽のような、
バルバラの音楽の概念のような映画でした。
気持ちいいほどに、「解釈する」という行為自体が飽和して、消失していくような体験。

何か似たような映画はあったかな、と思ったら
イングマール・ベルイマン監督の「ファニーとアレクサンデル」やデヴィッド・リンチ監督の「インランド・エンパイア」
に近いのかな、という気もしましたが、
上記の映画はもう少しレイヤーの区分がはっきりしていて、観客はその混沌の外側に居続けられます。
しかし、この「バルバラ セーヌの黒いバラ」は、観客共々、映画の中で迷子になっていく、出口のない迷宮のような映画です。

何度も見たい。もう今すぐ見たい。
そして劇場でも見たい。

皆様、ぜひ劇場で御覧ください。
11月16日Bunkamura ル・シネマで公開です。

いやぁ、こんなにも破壊力のある映画だったとは…。
こんな凄まじい映画を撮ったマチュー・アマルリック監督に脱帽です。



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by takekiygalmuto | 2018-09-16 19:40 | 日記

9月前半の読書

8月はシアタートラムにてながめくらしつ「うらのうらは、」やら、僕自身が作曲して指揮をしたバレエ初演など、
舞台に関わるものが多かったのですが、
その合間をぬって、
増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んでおりました。
基本的に僕は読書のスピードが早いので月に10冊程度の本を読むのですが、
何と今年の8月はこの一冊にほとんど費やされてしまいました。
僕はほぼ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の半殺しにされておりまして、
この夏の読書は格闘技で御座いました。
こんな恐ろしいノンフィクション、何。
むしろ、怒り。

だって、おかしいでしょ。
当時テレビの視聴率100%だったプロレスの
木村雅彦vs力道山戦
の裏話的なアレかと思って読み始めたわけですよ。
そしたら、日本柔道の歴史やら、東条英機やらマッカーサーやらいろいろな人や事件が登場しまくりまくりまくりで、
もうこれは日本の戦前、戦中、戦後の柔道を通した日本文化史、特に戦後にどのようにして「興行」というものが
発展していったか、という文化論の一種でございました。
いや、むしろ、海外にどのように柔道が伝わり、誤り、あるいは日本で消えてしまった柔術が海外にはまだ残り…、と
日本のことだけではなく、海外も巻き込んだ壮大すぎるルポルタージュで、
猛暑の中、僕はこの本と戦い続けたのでした。
読み終えた感想は、

スゲー。

オワッター。

…。

もう脱力ですよ。やっと読み終えた(勝った)。
僕はこの夏プロレスをしていたようです。本と戦っていたようです。

今では名前すら一般には忘れられているかもしれない木村政彦という柔道家の一代記、
あまりにも破天荒で、柔道に真剣で、そして人生に真剣で、ズルく生きた一人の男の生き様に
共感と反発と、何ともいえない「時代」に呑み込まれた哀しみを感じました。
素晴らしいノンフィクションでございました。


さて、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読破して、満身創痍のイーガルですが、
やっと他の本に手を伸ばして、読み始めようと思ったら

もう9月やないかいっ!

どういうことだ。夏を満喫するような夏読書をしようと思って買っていたあの本もこの本も
もう永遠にこない8月に取り残されたように部屋に置かれておりました。

ということでこの1週間の読書は
森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」
名倉編「異セカイ系」
村田沙耶香「コンビニ人間」
の三冊でございました。

「ペンギン・ハイウェイ」
小4の夏休みに街中に突然ペンギンが現れたり、現れなかったりする話。
確か日本SF大賞を取っていたような気がして、夏休みシーズンに読もうだなんて思っていた僕の思惑は
見事にすかされて、9月に読みました。
内容は理論SFというよりは、ジュブナイル×ファンタジーといったところでしょうか。
感想は、小4から巨乳好きは危険。です。

もう少しSF要素が強いのかと思っていたので、少々期待はずれの部分はありましたが、
それでも尚、面白いストーリーと軽快な文章。登場人物たちの会話の、ちょっとピントをはずした話し方が
たいへん面白く、最後まで一気に読んでしまいました。

ただ、これは子供向けなのでしょうか…、結構後半はロジカルな部分も多く、小説内世界の構造を把握するには
ある程度のSF基礎力が試されるような気がしました。


「異セカイ系」
あー、もう、なんだよこれ!と叫びたくなるような多層構造のメタSF。
いや、SFでもないのか、むしろ、実験小説の部類に入るのでしょうか。
ウェブ上で小説を公開するサイトで上位10作品に入ると、その小説世界に作者が入ることができる、
というのが大筋なのですが、
作者と(作者の創造した)キャラクターとの関係性、
そして、作者とキャラクターは完全に違うレイヤーに存在していて、
互いに干渉することは不可能なのか、
また、可能な場合はどのような場合なのか、
そのようなことが書かれた小説であるような感じがしないでもないような小説でした。
一義的には、小説というものがあれば、そこには作者が存在します。
その作者より上位に小説内のキャラクターが立つことができるのか、という挑戦に思えました。
このような試みはフランスのヌーヴォー・ロマンの文脈ではいくつかあったような気がしました。
クノーの「イカロスの飛行」とか確かそうだったような。
あとイタリアのピランデルロの戯曲で「作者を探す六人の登場人物」というのがあったような気がします。
日本でも、筒井康隆が「残像に口紅を」や「虚人たち」の登場人物たちが何らかの物語の登場人物であることを
意識した行動を取っていました。

「異セカイ系」では、小説内の主人公の一人称独白で進んでいくのですが、
それがもう何だかアホみたいに爽やかでリズム感のある関西弁で、それが生き生きとしていて、
さらに、小説内がどんどん多重構造になっていき、最後にちゃんと落とし前をつけて、
しかも、希望に満ちている。
単なる自己完結系独りよがりな「自分の書きたい世界」を書いた小説ではなくて、
オタクっぽくありながらも、この現実世界を見つめる眼差しのある小説でした。
大変大好きです。
でもあんまり人に進められない小説だな。でも大好きです。
セカイ系が好きな人よりも、入れ子構造の小説が好きな人に勧めたいです。
でもそういう人はこの同人誌感に抵抗があるような気も。
誰に向けられて書かれた小説なのか、ターゲットが謎すぎますが、
めちゃくちゃ素敵な小説でした。

この一週間は新鮮な読書が続いております。


「コンビニ人間」
芥川賞受賞作ということで読む気も起きなかったのですが、
とあるキッカケで読んでみることにしました。
とあるキッカケというのが、この本の主題がコミュニケーション障害にある、ということを知ったことなのですが、
僕はですね、この「コンビニ人間」が芥川賞を受賞したとき、
勝手にですね、コンビニで働く健気だけど一生懸命生きている人々の些細な幸せを描いた小説、
と思っていたわけです。
そしたらどうよ、全く違うんだよ。
人とのコミュニケーション不全の主人公が、18歳のときに「コンビニ人間」として生まれ、
人々の言動をトレースしながら、漠然とした「普通」を無感情に演じながら生きる、という話でした。
冒頭の方でいきなり、

「コンビニ人間として生まれる前のことは、どこかおぼろげで…」(「コンビニ人間」より)

などと、自分を、人間としてではなく、コンビニ人間という新種の何か、として見ていることが明確に提示され、
そして、主人公を取り囲む「普通」という漠然とした何ものかの枠内に生きる人々との、社会的関係性が、
淡々と描かれている。

むしろ、新種コンビニ人間誕生秘話的なSFなのではないか、と考えてしまうほど、
全然普通の小説ではありませんでした。
感情、という機能が無く、そしてそれを補うために他者をトレースしてゆく主人公。
社会的「普通」の中に真性コンビニ人間を埋没させようとする主人公。
そして、ラストシーンでは、美しく、その自分の存在を社会的な何か、から乖離させて、
自分になります。
これは絶対にハッピーエンド。何かのレビューでバッドエンドだというようなことを書いている人がいたような
いないような、いや、いなかったかな、どうかな。

さらに、この主人公と同じような気持ちを持ちながら、それでも「普通」と戦うがために戦闘能力を失った男や、
リア充っぽい人たちがいて、そして、何よりも「普通」を体現したような人たちもたくさんでてきます。
この主人公は最初から全然戦っていないし、社会の中に自分の位置など気にしていないし、
なにかに抗ってもいない。
感情が見えない。それなのに、それが全く空虚でも哀しみでもなく、ただ、今まで誰も描かなかった、
そして、描けなかった新しい人間像を小説世界に提示してくれたような気がしました。
こんな傑作を今まで無視していてごめんなさい。
こういう小説を待っていたんです。
こういう小説を読みたかったんです。

他者とのコニュニケーションが苦手な人を主人公にした小説じゃないんです。
これを読んで、「私もコミュニケーション苦手だけど、勇気がでた」とか言ってる場合じゃないんです。
そもそもコミュニケーションの概念自体が無い人の小説なんです。

ああ、この村田沙耶香さんの本、出てるだけ全部読みたい。
コミュニケーション不全の人間を主人公に、どんどん突き進んでいるのか、読みたくて仕方ないので、
一冊買ってみました。
読むのが楽しみなので、来月あたりに読もうかと思っております。



さて、今回も長いですね。


噂の映画
「カメラを止めるな!」
を見ました。

なるほどね。という感じでした。
良かったんです。良かったんですけど、傑作!というよりも、
え!? これ、今まで誰もやってなかったのか、盲点!

みたいな感じでした。
でもこういう映画を撮れるって、いいなぁ、と思いました。


さて、「ペンギン・ハイウェイ」。劇場で見ようかな。


はい、今回も長々とすみませんでした。
もう少し人の役に立てる人間になりたいです。










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by takekiygalmuto | 2018-09-16 19:35 | 日記

9月の出演

9月後半のオフィシャルな出演情報でござります。


9月23日(日)

窪田美樹個展『情緒の辻〜均等にやって来る十二の鬱』

根津・千駄木 GALLERY KINGYO

開場14時/開演14時30分 2,000円1ドリンク付き

ライヴ『中心の無いステージ』

​出演:あやちクローデル×イーガル


さらに、イーガルは美樹さんの作品に合わせた十二音技法の現代音楽作品も併せて発表します。


9月24日(月・祝)

立川南フェスタ

立川南口商店街 11:00~16:30

芸人まこと、KANA∞、うつしおみ、ミホウ、イーガル、てのひら、CHIKI、バーバラ村田、吉川健斗、Okk、加納真実、バロン、チャタ、桔梗ブラザーズ、SUKE3&SYU、紫ベビードール、セクシーDAVINCI


イーガルはピアノでロービング、さらに定点ではソロパフォーマンス、そしてうつしおみとのコラボもします。


9月28、29日(金・土)

マボロシ劇場

出演:ペピン結構設計、高橋匡太&柳井祥緒、祝祭のサーカス団(イーガル、みま、森田智博/演出 上ノ空はなび)

18:15~19:00 パフォーマンス 19:00~20:00 まちなかパフォーマンス

20:00~20:20 グランドフィナーレ


9月30日(日)

「The Singers!」

昼公演:14:00

夜公演:18:00

(30分前開場)

きゅりあん・大ホール(東京・大井町)


料金:\7,800

出演:Ryu/松原健之/ TRITOPS*/ NTB

特別ゲスト:北原ミレイ

演奏:Baladin/Baron

主催:㈱ハーモニー


チケット絶賛発売中

チケットぴあ(Pコード:121-439)



です。今回もまた北原ミレイさんとご一緒させていただきます!嬉しい!


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by takekiygalmuto | 2018-09-16 17:35 | 告知